スカート日和

好きなもの、好きなこと。

スカートの中に入れて

今回は、このブログの名前について

書こうと思います。

 

このブログ、スカート日和 といいます。

 

もともと、〇〇日和にしよう、

というのは自分の中でなんとなくあって、

〇〇に入れる言葉を決めかねていたのですが

ふと、好きな曲の歌詞から拝借しようと

思いつき、自分が今まさにどハマりし

聞いている曲リストの中から

これだ!としっくり来るものを

選んでおりました。

 

そこで浮かんだのが、

星野源  スカート

という曲です。

 

わたしは2年前くらいから星野源さんの

大ファンなのですが

(逃げ恥、もちろん毎週見てました。)

曲はもちろんのこと、彼の使う言葉たちが

心に迫ってきてとても好きなのです。

 

そして最近、星野源さんの曲の中で

ずっと聞いているのがこのスカート。

 

日差しの中で紅い瞼透ける

微睡みながら埃は光舞う

まるで子供の頃の春のように

見るものすべて輝いているよう

電波からのサイン  少し無視したら

時間の河を 下るのか上るのか

 

ここまでの歌詞で、もういかに

星野源という人が言葉遣いの天才であるかが

分かります。

どんな場面か、なんの情景かは全く

書かれていませんが、日差しの中で

紅く透ける瞼と、光り舞う埃の様子は

どことなく始まったばかりのある日の朝を

思い起こさせます。

そしてそれは、昔経験したことのある

子供の頃の日常とよく似ていて、家族に

囲まれて輝く春のある朝のようなのです。

昔の記憶が浮かぶ微睡んだ空間の中で、

大人になった自分は逆らえない電波からの

メッセージ(おそらくスマホやテレビ)を

少しだけ無視することで、

時間の河の中を漂っている…

 

ここまでの内容で、まだサビに突入

していないというまさかの事実。

そして、ここから始まるサビで

この曲の魅力が爆発します。

 

何もない日々よ

幸福も今はいらぬ

仕事を預けて

昼飯食べる

 

突如として始まる現実の日々。

それは何もなく、ただ仕事をこなして

生きていく日々。

大人になるとはこういうことなのかと、

一見悲しくなりますが、実は

そうではありません。

大人としての日々をこなす自分は

本当は自分から幸福を遠ざけているのです。

何もない日々の中には、幸福もいらない。

ここに星野源の仕事に対するストイックな

考えが表れているように感じます。

 

彼自身が求める表現者としての日々はきっと

この曲の中の日々とは異なる世界にあり、

そこに到達するまでの日々の中には

まだ幸福も何もいらない、というのです。

 

これでこそ、と思いました。

 

わたしも夢を持つ人間として、

夢に向かうその過程の中で

必ずしも幸福ばかりを求めないように

しなければ、と思います。

成果が出れば嬉しいし、認められると

もちろん幸福を感じますが、それだけで

満足していては辿り着けない夢があることを

教えてくれているような気がしました。

 

少しでも夢に繋がればと思って始めた

このブログの名前にこの曲を当てはめることで

彼が追い続ける夢の先のように、わたしも

この先を見失わないようにしようと

思いを込めました。

 

結果的に歌詞と言うよりも

曲のタイトルそのものになってますが(笑)

そんな感じの由来です。

 

それでは、また。

スカート

スカート