スカート日和

好きなもの、好きなこと。

振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない。

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今週のお題「受験」

2018年、何か新しいことを始めたくてうずうずしているので、今回初めてお題に挑戦してみようと思います。

今週のお題は受験。

受験の思い出と言えば、高校の合格発表の日、自分の番号を確認した直後に貧血で倒れたこと、大学受験で絶対に合格すると思っていた滑り止めに落ちて2週間家から出なかったこと、結局その滑り止めよりもいい大学に合格して、引きこもり生活が終了したこと…思い返せばたくさんの思い出があります。

今の自分から、受験真っ只中の自分に何か言えることがあるとすれば、それはただひとつ、勉強しなさい!ということです。

充分勉強してるって!と言い返されそうではありますが、それでもやはり、あの頃の自分にはそう言いたい。

それは一体なぜか。理由は簡単です。

受験生とは、本当は限られた貴重な時間だから。その時間をめいっぱい、自分の未来の為だけに使って欲しいから。

なぜこんなことを言うかといいますと、わたし自身の受験は過去のものになってしまいましたが、職業柄今でも受験生に関わっているからです。大人として受験を捉え、受験生に向き合うと、あの頃の自分では分からなかったことにたくさん気付かされます。

周りの大人たちが、どれほど応援してくれていたか。

純粋に勉強だけに向き合える時間が、これから先の未来にどれほど少ないか。

ひとつの目標に向かってひたむきに努力することが、どれほど貴重な経験になるか。

 

受験生という身分の中では、勉強はただひたすらやらなければならないものとして、目の前に立ちはだかる壁にしか感じられないかもしれません。でもその壁を作っているのは単純に自分の学力不足であり、そこに向き合う以外に前に進む方法はないのです。

応援してくれる人たちは、後ろにはいません。壁の向こう側、苦労して超えたその先で、待っているのです。壁の向こう側で待つ立場になった今、ただ一生懸命に勉強して、悩みながらも前に進もうとする受験生の姿は美しく、そして少し、羨ましい。そんなことを思ってしまう大人がいるほど、今の時間は貴重なんだと、彼らが気づいてくれますように。そして、出来ることは全てやろうと、最後までやりきってやろうと、またもう一度エンジンをかけるきっかけになりますように。かつて受験生だった1人の大人として、そう願っています。

頑張れ、受験生。

 

何者でもなくても世界を救おう

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どどどどどどどどどっど〜ドラえもん

こんなに率直に、そして端的にキャラクターの名前を使った歌が、今まであったでしょうか。

 

2月28日リリースの星野源の新曲、タイトルはズバリ『ドラえもん』。映画ドラえもんのび太の宝島の主題歌として、リリースに先駆けラジオで公開されました。

ANNでリアルタイムで聞くことは叶いませんでしたが、radikoのタイムフリー放送を使って、もう何度も繰り返し聞いています。

 

 

ANNで公開された翌日だったでしょうか、ネット上で「星野源の新曲に中毒者続出」という記事を見つけ、概要を見てその歌詞の独創性に驚きました。

 

どどどどどどどど?

ど のゲシュタルト崩壊が起こりそうな羅列。一体どんなリズムで歌っているのだろうと気になり、すぐにYouTubeで検索しました。そして映画ドラえもんの予告動画を見つけ、再生。 

 

笑点のリズムを思い出させる明るいイントロと、まさに子供向け映画にふさわしく分かりやすいサビ。やはりドラえもんの主題歌とだけあり、子供向けのポップで元気な曲だな、というのが第一印象でした。しかし、1人の星野源ファンとして、そこで終わるわけにはいきません。フルで聞かなければ、とすぐにradikoで再生しました。

 

するとどうでしょう、なんだか胸に熱いものがこみ上げて、ぽろりと泣いてしまいました。

え、ドラえもんで?と、自分でも驚くばかり。

なぜ、わたしは大人になって、ドラえもんの映画主題歌を聞いて涙を流しているのでしょうか。

 

そして、何度か聞いているうちに分かりました。この曲は、決して子供向けなどではないのです。

星野源の、未来への思いが込められている曲なのです。歌詞の至るところに散りばめられた思いの詰まった言葉たちに、わたしは心を打たれていたのです。

 

少しだけ不思議な 普段のお話

指先と机の間  二次元

 

ドラえもんとは、不思議な道具こそたくさん登場しますが、描かれているのはまさに少年たちの日々の暮らしであり、普段の日常。 

そして、指先と机の間二次元、これはドラえもんの原作者である藤子・F・不二雄の目線でしょうか。

 

機械だって涙を流して

震えながら 勇気を叫ぶだろう

 

この歌詞を見て、わたしはハッとさせられました。

今を生きる人たちの間で、圧倒的な知名度を誇るドラえもん。生活の至るところでその姿を目にすることができるほど、国民的キャラクターとなっています。

また、漫画の中でもその存在は当然のようにのび太たちの仲間として扱われ、のび太にとってはもはや親友と呼ぶに等しいでしょう。

そのドラえもんを、機械と表現しているのです。

当たり前すぎて忘れがちですが、ドラえもんとは猫型ロボットであり、人間ではありません。パシャリと顔に水をかけられるようなこの事実を、彼はさらりと歌詞にしてしまいます。そしてその機械だって、映画の中では涙を流して、友達と一緒に勇気を叫んでいるのだと。

 

だからここにおいでよ

一緒に冒険しよう

何者でもなくても 世界を救おう

 

ドラえもんが人間ではなくても、のび太が落ちこぼれでも、そんなことは関係ない。

特別な存在になる必要はない。映画に出てくるような王子でも勇者でも賢者でもない、ただの猫型ロボットと泣き虫の小学生だって、世界を救うことができる。そんな希望ある世界。それがドラえもんの世界観に必要な全てです。

 

中越しの過去と輝く未来を

赤い血の流れる 今で繋ごう

僕ら繋ごう

 

そんな希望あるドラえもんの世界は、一体どこにあるのでしょうか。あるとすれば、それは紛れもなく未来でしょう。そこに近づくためには、今を生きるわたし達が、ドラえもんという希望を共有しているわたし達が、その未来に向かって進む以外に方法はありません。

 

君が残したもの 探し続けること

浮かぶ空想から また未来が生まれる

 

ここで言う君とは、ドラえもんか、はたまた藤子・F・不二雄のどちらでしょうか。どちらにせよ、残したものというのは数々のひみつ道具のことで間違いないでしょう。

ドラえもんひみつ道具たちは、現代においては最早、ただの夢の道具などではありません。技術の進歩とともに次々と実現され、それはきっとこれから先も、続いていくはずです。

元は1人の人間の空想を、たくさんの人たちの努力によって実現していくこと。その弛まぬ努力が、これから先の輝かしい未来を作っていくのです。

 

いつか時が流れて

必ず辿り着くから

君に会えるよ

そして、もはや日本だけではなく世界中の人々が待ち望むひとつの夢こそ、ドラえもんの実現でしょう。今は技術が足りず、ひみつ道具を作れるものから少しずつ作っている状態ですが、この先の未来で、必ずドラえもんは待っているはずです。

いつか時が流れて
必ず辿り着くから
君を作るよ

1番、2番では会えるよと歌っていた歌詞が、3度目にして作るよに変わり、より強い未来への思いが感じられます。星野源自身、ドラえもんの実現を待ち望むたくさんの人たちの中の1人なのでしょう。

ドラえもんに会える未来まで、あと何年かかるかは分かりませんが、その未来に辿り着くまで、私たちは日々を繋ぎ、命を繋ぎ、今という時間を次に繋げていかなければなりません。ドラえもんの実現に必要なのは、天才的な頭脳を持つ科学者や研究者たちだけではないのです。何者でもない私たちの、未来へかける希望と、生活の中で生まれる夢こそ必要で、それが結果的に明るい世界を作ることに繋がっているのだと思います。

 

星野源ドラえもんへの愛と期待が込められたこの曲を、映画を見た子供たちが口ずさむ日も遠くないでしょう。それだけでもう、ひとつの明るい世界が実現しています。

ドラえもんがある世界から、ドラえもんがいる世界へ。必ず訪れる未来まで、この曲を軽快に歌いながら、日々を生きていきたいと思います。

 

それでは、また。

 

いのちの車窓から

久しぶりの更新です。

毎週の楽しみだったカルテットが最終回を迎えてから、もう随分と時間が経ってしまいました。最終回の感想を書く時間は、新年度を迎えた仕事の関係もあり、慌ただしい日々の中にすっかり溶け込んで消えてしまいました。

いつか書ければと思っていますが、最終回を無事迎えたということは、これからカルテットのお話が先に進むことはもうないわけで、それならそんなに焦って書く必要もないかな、なんてのんびり考えているところです。

 

ですので、今日はどうしても今日書きたいことを書くことにしました。

それは、星野源さんの最新刊、『いのちの車窓から』の感想に他なりません。

わたしは予てより星野源さんの大ファンなのですが、歌も曲はもちろんのこと、なにより彼の書く文章が大好きなのです。なので、この本が出版されると聞いた時からずっと楽しみに待っていました。雑誌ダ・ヴィンチ自体は読んでいないので、すべての文章がわたしにとっては初めて読むものとなります。

読み終えた感想、一言で言い表すならば、「もう最高」でした。自分の語彙力の無さに驚きますが、これ以外に言葉が見つかりません。

それではこれより先、詳しい感想に参ります。ネタバレ含みますのでご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星野源さんの書く文章は、どうしていつもこう柔らかく、優しいのでしょう。言葉はその人の性格や内面が現れるものなのでしょうか。

30個のエッセイを約2時間かけて一気に読みましたが、読んでいる間中一度も文章からの圧力を感じませんでした。わたしは本を読むとき、その文章が持つ圧力に負けて、読むのを中断することがあります。うまくは言えませんが、長い文章を延々と読んでいると、突然ぷつりと集中が切れて、目で文字は追っていても頭の中には何も入らない状態になります。単に頭が疲れて集中力が無くなっただけかもしれませんが、これのせいで、今までどんなに面白い本でも、一気読みすることは出来ませんでした。

しかし、今回は何の問題もなくさらりと、まるで以前から当たり前に出来ていたことのように、一冊まるまる一気に読み終えてしまいました。これは、彼の書く文章、選ぶ言葉が自然と頭の中に流れ込み、ひとつひとつを理解しながら落ち着いて読むことができたからだと思います。文章に圧がない、それでいて決して飽きることなく最後まで読める。本当に不思議な本です。

 

全30個のエッセイは、思わず笑ってしまったり、思いがけず心にぐっときたり、種類豊富な充実した内容でした。つい笑ってしまったのは、"怒り"で書かれたハマ・オカモトさんとのちぎれるパンの話。確かに、パンは大体ちぎれるし、柔らかい。よく気がついたな、と感心してしまいました。

一番ぐっときたのは、"新垣結衣という人"。逃げ恥は毎週楽しみに見ておりましたので、撮影中の2人の様子は、とても興味深かったです。読んでみると、星野源はきっと人を褒める天才でもあるのだなと思いました。こんなに褒められては、新垣結衣さんも戸惑ってしまうんじゃ…?と思うほど。しかし、ここに書かれていることは紛れもなく事実であり、星野源が見た新垣結衣という人の素晴らしさが、存分に伝わってきました。日本を代表する女優が、素敵な普通の女の子だったこと。わたしはこれから彼女をテレビで見るたびに、これを思い出しては、応援してしまうのでしょう。

そして、全てを読み終えて、星野源という人もまた、素晴らしい普通の人なのだと思いました。もちろん音楽的センスや文章を書く才能においては天才で、天才だからこそ注目を集め、仕事をしていることは分かっています。しかし、そんな彼も、両親の前で寝たふりをする子供時代があり、夜中までゲームをするダメな大人であり、柴犬を愛する1人の男性でした。街が寝静まる深夜の時間帯を好んでは出歩いて、街の人々の生活を妄想する。住宅街に香るご飯の匂いを感じながら、ふらふらと時間をかけて家まで帰る。忙しい日々の中で日本の季節を感じながら、生きる。こんな当たり前の生活の中から生まれた音を、誰かに届けるために歌う。彼の音楽は生活が全てであり、そのものなのだと改めて気がつきました。

星野源という人を知ることが出来て、わたしは本当に良かったと思っています。日々の生活の中、どうしても仕事の忙しさや憂鬱に負け、当たり前のことが当たり前に出来なくなる時があります。しかし、そういう時にこそ、自分の生活をなにより大切にしなくてはならず、生きていかなくてはと思います。

自分の生活が何だったか分からなくなっている人や、失いかけている人に、この本を読んでほしいと思いました。そして、そうか自分の生活はこれだったと思い出し、深夜までゲームをしたり、ふらふら散歩に出掛けたり、大切な人と抱き合ったりしてほしい。そんな気持ちになりました。

 

改めて、この本を手に取って良かったと思います。これからも星野源さんの日々と共に、彼を応援していこうと心に決めた一冊でした。

 

それでは、また。

 

いのちの車窓から

いのちの車窓から

 

 

 

 

今、信じて欲しいか信じて欲しくないか、それだけ言って?【カルテット第9話】

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カルテット9話、見ました。

以下ネタバレ含みます。

 

 

 

 

 

真紀の最後の嘘が明らかになった第9話。

本当は巻真紀ではなく、早乙女真紀でもなく、山本あきこ、という女性であったことがここにきて明らかになりました。

今回の冒頭で繰り広げられた家森節は、全く見事なものでした。

本当の名前で呼んで

ニモはカクレクマノミ、ホッチキスはステープラー、バンドエイドは絆創膏、ドラえもんは猫型ロボットなどなど…よくこんなにも商品名で呼ばれている物を見つけたなあと感心してしまいました。

何の事情も知らないのに、名前を偽ってきた真紀の前でこの話題で盛り上がるとは、皮肉なものです。

 

 

そして、この9話の名場面はなんと言っても後半部分、別荘の居間ですずめが真紀へ語りかける場面からその後エンディングに至る流れ全てだと思います。

人に知られたくない、言いたくない過去があり、かつてそれを受け入れてくれた真紀が、今目の前で自分の過去に苦しめられている。

状況が反転した中で、真紀を救うことができたのは、すずめただ一人だけに間違いありません。

その役割をきちんと果たし、カルテット全体で真紀を受け入れていることを確認したあの場面。

 

今、信じて欲しいか、信じて欲しくないか、それだけ言って?

 

過去なんてどうでもいい、誰であろうと関係ない。だって家族だから。

同じシャンプーで頭を洗って、同じご飯を食べて、同じ家で暮らす。

元は他人だったとしても、一緒に生活を続けてる今、四人はもう家族だから。

だから、家族として、信じて欲しいか、信じて欲しくないか、それだけ言って。

 

信じて欲しい!

 

たくさんの思いが詰まった質問と、その答えだったと思います。

家族のことを信じるのに、何の躊躇いも無いし、家族に信じて欲しいと願うことに、何の後ろめたさも無い。

血が繋がっていなくとも、きっとこういう存在のことを家族と呼ぶのだと思います。

 

そして、真紀がノクターンの楽屋を出て行った後、泣きながら崩れるように座り込んだすずめを優しく慰める男性陣。

蚊帳の外に出されていることが多い彼らですが、すずめと真紀の間に、自分たちが知らない絆があることをしっかりと気づいているのでしょう。

それでいて何も言わず、何も聞かずに今まで過ごし、すずめが泣いてしまった時には二人で慰めるという優しさ溢れた場面に、ついウルっと来てしまいました。

カルテットドーナツホールは、真紀がいなくなったことにより本当に穴が空いてしまったようでした。

これからどうなってしまうのか、最後まで見逃せません。

 

また、今回は過去が話題になっていることもあってか、視聴者には懐かしい場面がいくつか出てきました。

別府のDVDを放り投げる真紀。

ウルトラソウルパンツ。

四人並んで歯磨き。

アヴェマリアモルダウ

これまでの話が思い出され、それと同時に確実に終わりに近づいていることを感じます。

 

感想が遅くなってしまい、もういよいよ今夜が最終回ですね!

最後までみぞみぞしながら楽しみたいと思います。

 

それでは、また。

 

 

 

 

 

 

好きだってことを忘れるくらい、いつも好きです。【カルテット第8話】

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カルテット第8話、見ました。

以下ネタバレ含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく、何よりも、4人の恋愛がくるくると回りに回るお話でした。

カルテットドーナツホールの名に相応しく、面白い程4人が入れ替わり立ち替わり、それぞれの思いだけを胸に、ぐるぐると回っていたように思います。

まず、最初のワカサギ釣り?のカット。この時点で4人はもう円になって座っており、これからまるでメリーゴーランドのように回ることが意図されているようでした。

また、蕎麦を食べるシーン。初めはすずめの夢の通り、別府とすずめが向かい合っていましたが、別府が席を立ち、替わりに家森が座り、少ししてからすずめがいなくなり、そこに真紀が座る。

こんなにも短時間で人が入れ替わるテーブルが他にあるでしょうか?

 

 

そして、今回は恋愛、特に片思いに関する名言がいくつも飛び出しましたので、ひとつひとつ感想と共に述べていきたいと思います。

 

好きだってことを忘れるくらい、いつも好きです。

まずはタイトルにもしました、すずめのこの言葉。

夢の中では三角コーヒーへの言葉でしたが、本当は別府に対するすずめの恋心を言い表したものだったなんて、可愛すぎるセリフです。

また、就職先の社長?(ミッキーカーチスさん、最高にキュートでした!優しくてお髭の生えたお爺さんが大好きです!)に、自分の恋について話す場面はすずめらしさが全開でした。

ここで改めて、好きってことを忘れるくらい好きなのだと、別府への思いを口にしていましたね。

自分の好きはたくさんあって、いつもそこらへんに寝転んでいて、好きな人の好きな人も好きだから、自分はこれでいい。しかし、真紀と別府をくっつけようと、少し頑張る時をたくさん過ごしながら、すずめはきっといつも、胸の中の別府にエプロンをかけてもらっていたのでしょう。

何度も繰り返し流れるナポリタンの夢の続きを、すずめは現実にしたかったことでしょう。

一緒にコンサートに行って、夜ご飯を食べて、帰りのコンビニではアイスを買って、外で食べる。あの時は出来なかったけれど、夢の中では別府の左手に触れ、隣にぎゅっとくっついて座る。幸せな夢を見ているはずなのに、泣きながら目を覚ます場面、すごく胸に迫ります。

 

片想いって、1人で見る夢でしょ?

 

そして次に家森のこの言葉。

ワカサギを釣りながら話していた夢の話が、ここで活きてきました。

別府と真紀をくっつけようと奮闘するすずめに対して、片想いは夢だと告げる彼ですが、彼もまた、1人で夢を見ている人間なのでした。

今まであまり決定的に好意を見せる場面が無く、人を好きにならないという発言も飛び出していましたので、本当に家森はすずめが好きなのか怪しくなっていたところでしたが、今日まさに、決定打が出ましたね。

 

別府と真紀がデート中、家森はすずめに、片想いと告白について話します。

「好きです。」

「ありがとう。」

「冗談です。」

S、A、Jの法則。笑いました。

しかしこれ、まさにその通りなのでしょう。

好きでもない、興味のない人から告白されても、へぇーとは言えない。

その代わりのありがとう、そして気まずい空気を消す為の、冗談です。

最後の冗談です、という言葉が、好きです、を帳消しにして、無かったことにしてくれる。

 

この法則が発動した別府と真紀。

離れていてもどこか繋がっている4人が面白いですね。

ただ、別府と真紀は、好きですという言葉を無かったことにしたのではなく、一緒にいるのが辛い、もう離れた方がいい、という少しずつ見え始めたカルテットの終わりの言葉を無かったことにしました。

次回から最終章に突入しますし、本当にカルテットとのお別れが近づいていることに、寂しさを感じます。

 

別府と真紀の間で発動したこの法則ですが、家森とすずめの間では、無かったことに出来なかったようでした。

お得意のシミュレーションとして、ちょっと告白してみ?とすずめに持ちかけた家森でしたが、いざすずめに好きです、と言われると動揺してしまっているように感じました。

すずめも別府のことを諦めていますが、家森もまた、すずめのことを諦めているのでしょう。

そして、家森のすずめへの気持ちは、好きってことを忘れるくらい、いつも好き、なのでしょう。無理だと思っている相手から言われる好きですは、家森の想像以上に破壊力があったようです。

無かったことにして、みんな生きてるのと言う家森は、誰よりも無かったことに出来ていません。

 

切ない片想いたちがくるくると回る第8話でしたが、もちろんそれだけでは終わりませんでした。

最後に突然現れた真紀への疑惑。早乙女真紀ではない、誰か。

誰でもない女ですね。

警察の方が発したこの言葉、今までの真紀への愛着が一気に吹き飛び、もう一度、夫を殺したと怪しまれていたあの頃の、ミステリアスな女性に戻ってしまいました。

 

早乙女真紀と名乗る謎の女は、一体何者なのでしょう。

死ぬなら今かなってくらい、今が好きです。

真紀のこの言葉が、少しずつ意味を持って、来週から明らかになっていくと思います。

 

来週も楽しみです!

 

それでは、また。

 

 

 

 

巻き戻ってる感じありますよね【カルテット第7話】

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カルテット7話、見ました。 

以下ネタバレ含みます。

 

 

 

 

 

 

 

ついに巻夫婦の結婚に終止符が打たれた第7話。一時も息がつけないような怒涛の展開が続き、最後にはようやくいつも通りの日常が、カルテットに戻ってきました。

 

日常に戻った食卓のシーンで、家森さんが何度も繰り返していたこの言葉。

巻き戻ってる感じありますよね。

そう、この言葉の通り、第7話は巻き戻し、そして不可逆が詰め込まれた回となっていました。

 

まず、オープニングとエンディングの逆転。エンディングから始まる=巻き戻し再生であり、この話は初めから巻き戻されているんですよ、と言わんばかりの演出となっていました。

そこから巻き戻しに気をつけて見てみると、いくつか該当するポイントが見つかります。

・家森さんの滑走(素早く落ちて、素早く元の位置に戻りました)

・巻夫婦が再会したことによる関係性の巻き戻し

・一度死んだと思われた有栖が実は生きていた(生→死→生への巻き戻し)

・有栖が運転する度に見せる車のバック走行(坂道を後ろ向きに駆け上がる場面は本当に巻き戻しているかのようでした)

 

しかし、これらの巻き戻し事項が散りばめられていながら、全て元通りにうまく戻ったか、と問われると決してそうではありません。

1話で唐揚げにレモンの不可逆性が話題になっていましたが、それは7話になっても変わりません。一度変わってしまった、進んでしまった時の流れは、決して元に戻すことは出来ないのです。

 

家森さんが1回目に滑り落ち、素早く巻き戻ったかのように戻って来ますが、その後また滑り落ちてしまっています。滑り落ちるということ自体は同じですが、1回目と明らかに違うのは、頭にクリティカルヒットした猿用の罠です。(痛そうでしたが、笑ってしまいました。)

落ちて、登って、また落ちる。同じ繰り返しのようでいて、違うのです。

 

また、巻夫婦の関係性も、不可逆なものでした。再会したばかりの時、真紀はずっと持っていた夫である幹夫への恋愛感情が沸き上がり、髪のハネを直しグロスまで塗り直します。

そして全てを聞いた後、一緒に逃げると決意し、自分の人生はいらないとまで言い放つ覚悟がありました。

ここまでは、結婚生活を送っていた頃と同じように、幹夫と生涯を共にする家族になりたいと願っているように感じます。

しかし、2人の関係は再会によって完全に巻き戻ったとは言えませんでした。

一緒に東京の自宅に帰り、2人にしか分からない遊びを楽しみ、食卓を囲んでおでんを食べる。ここまでは以前と同じでしたが、少しずつ2人の間に不可逆性が見えてきます。

夕食を食べながら交わす会話の話題には、以前には現れることのなかったカルテットのメンバーたちが登場し、以前はきっと飲んでいたであろうタイミングで、ワインを飲むことが出来なくなっています。

これは明らかに、2人の関係が前のものとは違うことを示しており、そこから徐々に終わりへと近づいていきます。

 

空白の期間を埋めるように、互いの気持ちを確認し合う為の話し合いで、幹夫はこう告げます。

幸せになって欲しいって思ってる。

感謝してる。ありがとう。

男女の関係が終わる時、これ以上に優しく、残酷な別れの言葉が他にあるでしょうか。

もう自分では幸せに出来ないから、君は君で幸せになって欲しい。ここから先は、自分がいなくても生きていって欲しい。

真紀の今後の人生のことを考えての言葉だったのかもしれませんが、共に生きる覚悟をし、一緒に幸せになりたくて結婚して、失踪後も一途に待ち続けていた真紀に対して、最後にこの言葉を投げつける幹夫は、やはりコンビニ強盗をするような人間だったのかと思ってしまいます。

 

一方の真紀も、この言葉で幹夫の気持ちと、この先の関係性を全て悟ります。

ずっと幸せだったよ。好きだったよ。

何もかも終わったことを確認し合う、この一言。

もう待つことも、好きでいることもしないのだと、誰よりも自分自身に言い聞かせたように思えました。

 

また、全てを悟る一言としてもうひとつ取り上げたいのが、真紀のこの言葉。

抱かれたいの。

幹夫を連れて逃げようとする真紀を、必死に引き止めようとするすずめに対しての言葉ですが、こう言われたすずめは、全てを諦めるしかないと悟り、握っていた手を離してしまいました。

どれだけ同じ家で暮らして、同じご飯を食べて、頭から同じシャンプーの匂いがしても、夫婦という絶対的な異性関係には太刀打ちできないという現実が、この一言に込められていました。

それにしても、すずめは真紀のことが相当好きなようですね。(手を握り直す場面に既視感を覚えたかと思えば、以前別府さんが真紀の自宅で手を握ったあのシーンでした。)

 

少し話が逸れました。

東京の自宅で楽しい最後の時間を過ごした夫婦は、ついに終わりの時を迎えます。

離婚届を提出して、警察署の前で握手を交わした2人は、もう今後の人生の上で交わることはないのでしょう。幹夫の後ろ姿を見送る真紀の、凛とした表情が印象的でした。

更に、全てが終わった後、別荘で幹夫に貰った詩集を火の中に躊躇なく投げ入れる潔さも、真紀の心がもう幹夫には無いことが分かる決定的な場面でした。

すずめとセッションをしながら見せた彼女の笑顔が、どこか切ないながらも、清々しいものだったので、本当に良かったと思います。

 

そして、一連の騒動を起こした有栖ですが、一度死んで(気を失って)生き返った有栖は、カルテットの女性メンバーからの信用はゼロに等しくなってしまいました。元の日常に戻り、いつも通りノクターンで勤務する有栖ですが、すずめは分かりやすく無視し、真紀もどことなく怪しむ視線を送ります。ここの関係性も、一度起こってしまった出来事の後では、元に戻ることはないようです。

 

 

このように、一貫して、巻き戻しと不可逆が描かれた第7話でした。

最後の食事のシーンも、いつもの日常のようで、別荘には幹夫のお義母さんがいたり、巻さんから早乙女さんになっていたりと、どこかが以前とは違っています。そんな中で何も知らない男性陣が平和でいいですね。

 

次回からは、4人の恋愛が進展していくのでしょうか。それともまだ誰かの嘘が4人を混乱させていくのでしょうか。

 

みぞみぞします!

 

それでは、また。

 

そういうの、ぬか喜びって言うんだよ!【カルテット第6話】

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カルテット6話、見ました。

以下、ネタバレ含みます。

 

 

 

 

 

巻さんと夫さんの過去を中心に描かれた第6話。

まず、すずめちゃんに正体を隠したまま、一緒に別荘に向かおうとする夫さんは、いまいち何を考えているのか分かりづらい存在ですね。

押しに弱く気も弱そうな外見(宮藤官九郎さん、ナイスなお顔です)とは裏腹にコンビニのお金を盗もうとしたり…性格が掴みづらいです。

夫さんが別荘ですずめちゃんに全てを話すのと同時に、巻さんはお義母さんに、教会で全てを打ち明けます。

 

この2人の回想がメインの6話でしたので、やはり今回はそこの感想をじっくりと述べます。

2人の出会いから細かく描かれている中で、わたしがどうしても気になったのが色の使い方でした。巻さんと夫さん、それぞれに決まった色があるように思えたのです。

それはズバリ、巻さんは白、夫さんは黒です。

まず、2人が出会って食事に行くシーン。

巻さんは白い洋服、夫さんは黒い洋服を身につけています。

薄暗い店内の中で、白い服の巻さんは少し目立っているように思います。

これは、このレストランが夫さんのテリトリーであり、そこに巻さんが入り込んでいる(夫さんが招き入れた)ことを表しているのではないでしょうか。

先に惹かれたのは夫さんの方ですし、食事に誘ったのも夫さんだと予測されます。大体、食事に誘う側は、自分が連れて行きたいお気に入りのお店を選ぶはずですよね。初デートであれば特に気合いも入るでしょう。

つまり、初めは、夫さんの世界の中に巻さんが侵入してきた感じに近かったのだと思います。

それが、結婚することにより少しずつ変わっていきます。

 

2人が結婚して引っ越した新居は、レストランとは逆で、内装が真っ白です。引っ越しのシーンで目立つ黒と言えば、巻さんのバイオリンケースのみ。

これは、完全にこの家そのものが巻さんのテリトリーであることを示しています。

そして、巻さんの持ち物の中で夫さんが魅力的に感じるのはバイオリンのみなのです。この演出は、夫さんが巻さんにバイオリンを続けたら?と発言する場面にも繋がります。

 

また、白と黒の2人の間を埋めるかのように出てくる色が、緑です。

緑色にどんな意味があるのかは分かりませんが、このドラマ全体を通してよく使われている色ですね。(すずめちゃんのコート、別荘の内装など)

ちなみに、今回巻さんが駅までお義母さんを迎えに行った際も、駅の中に緑色が目立ちました。(緑色の改札って珍しいですよね。)

また、教会のシーンで巻さんが買ってきた飲み物のカップも緑色です。

巻さんたち夫婦の生活に出てくる緑色は、まず食卓に並ぶサラダでしょう。黒と白に注目して見ていると、料理のシーンでふと出てくる野菜の緑色にハッとさせられました。

そして、これはまさか!と思ったのが、コンポから流れてくる音楽です。2人のダイニングに流れる音楽はクラシックではなく、GReeeeNの愛唄。そう、グリーンなのです。

夫さんが入院してからも、病室に置かれた緑色にはどうしても目がいってしまいました。

黒と白と、緑。なぜ緑なのか、今後の展開の中で明らかになればと思います。

 

話を黒と白に戻します。

初めは2人とも分かりやすくそれぞれの色を纏っていましたが、生活が進むにつれて、少しずつ変化が現れるようになっていました。

巻さんは、黒色の洋服を着ていることもあります。これは、家族になった夫さんに少しでも近づこうという心境の表れのように思えます。

一方で夫さんも、巻さんのことを好きでいなければと自覚して以降は、灰色の洋服を着るようになっています。ここで、白と黒が混ざった灰色、というのが2人の大きな違いと言えます。

巻さんは全てをさらけ出し、自分を任せられる家族を求めており、相手の色に染まることも受け入れていましたが、夫さんはどうしても自分自身の生き方を捨てられず、相手の色に染まり切ることができないのです。

 

そして、夫さんが最初からほぼ揺らぐことなく黒い服を着ていることは、巻さんに対する恋愛感情に拘りを持っていることの表れだとも思います。

2人の色が溶け合って家族になるのに、黒という最も他の色と溶けにくい色を纏う夫さんの様子を見れば、家族になりたい訳ではなく、ずっと恋人として付き合っていたかったという発言にも納得がいきます。

そして夫さんは、元カノから連絡が来て、助けてと言われたとしても、揺らぎませんでした。あくまで、巻さんへの恋愛感情を持っていたいだけなので、状況をややこしくするだけの不倫には足を踏み入れない!という気持ちの表れなのでしょうか。

真面目なのか、面倒くさいだけなのか、ここでも掴めない性格です。

 

また、2人で映画を見るシーンでは、家族と言えど結局は他人である、という悲しいすれ違いが描かれていました。

夫さんが好きな映画を、巻さんは質問攻めしながら鑑賞し、最後には寝てしまいます。また、巻さんが面白がって見る映画では、夫さんは明らかに退屈そうです。

わたしも恋人と好きなドラマや映画を見る時、どうしても分かり合えないなーと感じることは多々ありますので、このシーンは少し胸が痛くなります。(笑)

このシーン、部屋全体は薄暗くて夫さんに寄っているように見えますが、実は夫さんの左側は光が残ったままで壁の白が目立っていることに気がつきます。そして夫さんの右側に座る巻さん。

夫さんがどれほど自分の好みに近づけようとしても、家そのものはもう巻さんの物であり、また、巻さんからも逃れることができない場所にいることが分かります。

 

こんな家の中での生活は、次第に夫さんの心を追い詰めていくようになります。

その結果、ベランダからの飛び降り。

それにしても、巻さんが突き落とした、というのが夫さんの嘘だったことに驚きました。疑われていた巻さんが可哀想に思えてしまいます。ただ普通の家族になりたかっただけなのに、なぜか夫は逃げてしまい、なぜか自分が殺したと疑われる。夫の帰りを待ち続け、靴下もそのままにして、死体発見のニュースに怯える日々。

 

ただ、この2人の関係に白黒つけようと、先に動き出したのは巻さんでした。

夫さんがいなくなった夜も、先に家を出たのは巻さんでしたし、離婚する意思をお義母さんに伝えたのも巻さんが先でした。

一度黒に染まった彼女は、夫と別れることによって、元の真っ白で唯一無二の存在に戻っていくのでしょうか。

 

今後の2人の展開が気になるところですが、それよりも今回の終わり方が衝撃的すぎて、しばらく引きずってしまいそうです。

時間軸が飛び飛びで描かれていたため、詳しいことはよく分かりませんが、二階のベランダから落ちた有栖は、どうなってしまったのでしょう。三階から落ちても死なないけれど、二階から落ちて死ぬ人もいるの、という巻さんの言葉が聞こえてきそうです。

また、この状況の中で雪の中を歩く家森さん、倉庫に閉じ込められた別府さん、監禁されたすずめちゃん、そして雪の中を走る巻さん。それぞれの静と動がこれからどのように作用していくのでしょうか。

 

最後に、今回のタイトルに選んだ言葉ですが、すずめちゃんが夫さんに強く言い放った言葉です。

 

そういうの、ぬか喜びって言うんだよ!

 

以前、巻さんが悲しいよりも悲しいことはぬか喜びだと言っていました。

すずめちゃんはあの時寝たふりで聞いていたはずですから、この発言は巻さんへのすずめちゃんの思いがあふれたセリフと言えるでしょう。

先週のすずめちゃんの涙を思い出して、胸に迫るものがありました。

 

 

さて、今回の感想は以上になります!

次回からは終わりの始まりですね。

さらにみぞみぞする展開が待ち受けていることに期待しています。

 

それでは、また。