夫婦を超えてゆけ
『POP VIRUS 魅力感染計画』、2回目の今日は、前回の記事で予告した通り、言わずと知れた星野源さんの名曲、『恋』です!
もうね、今更改めてこの曲について熱く語ることもないかなと思ったのですが、(知名度高すぎて)でもやっぱりね、あの大流行中に恋ダンスをノリノリで踊っていたたくさんのファンのひとりとして、ブームが去った今ですが、語らせてください!
どうでもいいことですが、文章がかなりフランクになりましたね。こっちの方がスラスラ書けて楽しいのでこっちでいきます。(笑)
一体何から語ればよいのか悩ましいところですが、まずとにかく最高のイントロ。アジアンテイストの中、軽やかに響く木琴。聞いた瞬間「あ、これ完全に好きだわ」と直感しました。(源さんの曲は全般そうなりますが。)
MVもこれまた最高なんですよね、、!
まずダンサーさんたち可愛すぎ。恋ブームが来た後、源さんのライブでは必ず黄色いスカートに白シャツ姿の女の子たちが出現してました、、それもまた可愛いです。(笑)
そして源さんの服装も可愛すぎ。Pop Virus では、パーカーにサングラスというかなりカジュアルな服装なので、久しぶりに恋のMVを見るとサスペンダー付きのシャツ姿のギャップに萌えます。(笑)
大ブームを巻き起こした恋ダンスも、ずっと見てても全く飽きません。ダンスがキレッキレなのはもちろん、カメラの映し方にも工夫がされていて、画面越しでも楽しませてくれることに感動です。
サビだけでも踊りをマスターしたくて、何回も見てたなあ、、もちろん逃げ恥も毎週録画して見てました、、愛が溢れる、、。
しみじみと懐かしさを噛み締めていますが、次に行きます。なんといっても大好きな、歌詞です!
胸の中にあるもの
いつか見えなくなるもの
それは側にいること
いつも思い出して
君の中にあるもの
距離の中にある鼓動
恋をしたの貴方の
指の混ざり 頬の香り
夫婦を超えてゆけ
まずはサビから。
タイトルは恋ですが、この曲は家庭の中にある愛の歌だと思います。
恋人から夫婦になって、恋はいつのまにか愛に変わります。恋をしていたときの胸のときめきや、キラキラした毎日はもう無いのかもしれないけれど、2人の中には必ず、あの頃の大切な気持ちがあるはず。
お互いが当たり前の存在になっていく中で、日常に埋もれて恋はどんどん見えなくなる。それでも、2人だけの距離間や、他の人には感じない鼓動がある。指の混ざりも頬の香りも、恋をした相手としか感じ合えないもの。あの時この人と恋をして、手を握り合って、頬の匂いを嗅ぎあって、そうして今の暮らしがあるんだと何年経っても、そう感じていたい。
本当、夫婦って、いいですね、、。
恋せずにいられないな
似た顔も虚構にも
そして、恋が見えなくなってもまた、何度だってお互いに恋をする。長年付き合っていると顔が似てくるって言いますよね。もはや自分の分身のような存在になるのでしょう。だんだんと似てきた顔を見て、また新しく恋をして。生活の中に紛れた小さな嘘もまた、スパイスとなって恋へと繋がっていくのでしょうか。
物心ついたらふと
見上げて思うことが
この世にいる誰も
二人から
ここ、恋の中で1番可愛い歌詞だと思うんですが、いかがでしょう?
これって、お母さんとお父さんの間に挟まれて歩いてる子供の目線ですよね。自分がどこからきたのか、どうやって生まれたのかということに、少しずつ気づき始める、そんな年齢でしょうか。自分は、お母さんとお父さんの恋の延長線上に生まれた存在なんだと、まだそこまでは感じられないかもしれませんが、でもきっとどことなく、2人の間に漂う恋とも愛とも取れる優しい空気に気がついているのでしょう。この子もやがて大人になって、きっと誰かと恋をする。そうやって、恋はいつまでも続いていく。
なぜこんなに素敵な歌詞が書けるんですか源さん、、天才ですか、、天才ですね!(断言)
たった4分程の曲の中に、こんなにもたくさんの素敵が詰め込まれています。そりゃ全国的にブームを巻き起こしますよね!
恋が発表されるまでは、正直ここまで有名になるとは思っていませんでした。SUNももちろん話題でしたが、本当に、まさかここまでとは。
テレビでたくさん源さんを見れるようになった幸せを感じつつ、「マジで身体だけは気をつけて!!!お願い!!!(真剣)」という気持ちは今も変わりません。(笑)
恋以降も、次々に最高の曲を作り続けていて、なんなら5大ドームツアーなんかもやっちゃって、ほんとどこまで行くの、、って感じです。もちろんどこまでもついて行きますが!
そんなわけで、2回目の今日は『恋』について書かせていただきました!文章のノリがすっかり変わって、暴走気味でごめんなさい!でもこの書き方すごい楽しい!!(笑)
次回は『Get a Feel』に挑みます!
それでは、また。
刻む 一拍の永遠を
約一年、前回の記事から空いてしまいましたが
久しぶりに投稿したいと思います。
今回は、初挑戦のシリーズ企画。
題して、『POP VIRUS 魅力感染計画』です!
POP VIRUS とは、わたしがかねてより大ファンである星野源さんの最新アルバムなのですが、今回はその収録曲の魅力を一曲ずつたっぷりとご紹介してまいります。
完全自己満企画だなあと、自分でも思いますが、わたしのブログなのだから!と、多少強気で押し切りたいと思います。(笑)
星野源さんのファンの方々はもちろん、まだ聞いたことのない方にも是非知って頂きたいので、どこまで続けられるか分かりませんが、初のシリーズもの、がんばります!
さて、記念すべき一曲目は、タイトルにもなっている『Pop Viris』から始めて参りましょう。
初めてこの曲を聴いた時の感想は、とにかくカッコイイ。一度聴き終わってもまたすぐに聴きたくなる中毒性がありました。
静かな歌い出しから徐々にたくさんの音が重なっていき、最後には全てが混ざり合って響きあう。始めて聴いたのはこの曲のMVが公開された時だったのですが、まさに曲の流れを表現したMVになっていました。
一人で孤独に歌っているところから、少しずつ周りの人たちを巻き込んで、電車の車両内全員が自由に踊り出す。そしてまた最後は一人に戻るところも、星野さんらしいなと思います。
乗客の中にバンドメンバーが混ざっているのもすごく素敵だし、踊っている人たちが、国籍も年齢も性別もばらばらで、この曲は間違いなく、星野さんの、音楽へ向けたラブソングなんだなと感じます。
星野源さんの曲の魅力を語る上で、絶対に欠かせないのは歌詞だと思っているので、ここから先は歌詞について。
音の中で 君を探してる
霧の中で 朽ち果てても彷徨う
闇の中で 君を愛してる
刻む 一拍の永遠を
歌の中で 君を探してる
波の中で 笑いながら漂う
今の中で 君を愛してる
刻む 一拍の永遠を
刻む 一粒の永遠を
まずはサビ部分の歌詞です。
初めて聴いた時、愛してるという言葉が使われていることに、すごく驚いてどきどきしたのを覚えています。星野さん自身、愛してるという言葉があまり好きではないと仰っていたので、あまり曲の歌詞には使わない印象がありました。
一体何に向けて使われた言葉なのか、誰か具体的な人がいるのかな?なんて、始めはそう思っていました。
ですが何度も聴くうちに、きっとこの愛してるは、彼が世界で1番大切にしているもの、つまり音楽に対して向けられているんだと、そう思うようになりました。
曲作りとは、ものづくり地獄の中でも一際苦しいものなのではないでしょうか。
自分の納得がいくものに出会えるまで、頭の中にある闇の中を彷徨いながら、ずっと奥深くへと続いていくものなのでは、と。
ずっとずっと続く、霧とも闇とも言えぬものの中で、たったひとつの本物に出会うまでやめられない。自分が心の底から愛することができるものを見つけるまでは決して出られない。
そんな苦しさを抱えた作業なのではないかな、と思います。ただ、その中でも笑いながら漂うことが出来る時があるとすれば、それはきっとバンドメンバーたちとのやりとりの中にあるのではないかなと。
今までは、もしかしたら苦しい時間の方が多かったかもしれません。ものを生み出すことは、自分に向き合うことであり、葛藤や苛立ちも少なからずあるでしょう。でもそこから少し外に出て、仲間たちとより良いものを作っていく中で生み出された音楽は、きっと何より尊くて、愛すべき存在なのでしょう。
ちなみに、このサビの歌詞、
渡す 一粒の永遠を
で曲が終わります。
今まではバンドメンバーたちと刻んでいたものを、最後にはこちらに届けるために、きちんと渡してから終わるところも、すごく素敵ですよね。
始まりは 炎や
棒きれではなく 音楽だった
人類の文明の始まりは音楽だった、そんな発見があったら、歴史の教科書は全て作り変えられなければなりません。
まさかそんなことはあるはずない、だけど、もしそうだったら?言葉も文字もない時代、手拍子や、なにかを叩くリズムでコミュニケーションをとっていたとしたら?
人はもともと、何にも縛られていないはずです。時代が進むにつれて、年齢や性別、国籍などの仕切りができて、言葉には違いが生まれ、国の間には見えない線が引かれた。
文明はどんどん発展して、生活は便利になっていくけれど、その一方で、何もかも違う人たちとのコミュニケーションなど、難しくて到底できない。
あの時代、人が何にも仕切られていなかった時代に戻ることはもうできないけれど、それでも、人類の根底は変わっていないと信じたい。
言葉が通じなくても、年齢性別がばらばらでも、同じ音楽で身体を動かして、自由に踊って、できることなら口ずさんで。
そんなやりとりの中でみんな、自然と肩を組んで、笑顔になって。
音とリズム以外には、ほかに何もいらない。
いつかそんな幸せな空間を、MVの中だけでなく現実として作ってくれるのではないかなと思います。
そしてその空間に至るまで、彼はまた生活の中で存分に音楽を愛し、一拍の永遠を刻み続けるのだと。
一曲目から、魅力が詰まりすぎていて、いつのまにか長くなってしまいました。(笑)
ひとまずこんな感じで、しばらくマイペースに続けていけたらと思っています。
次回は、言わずと知れた名曲、『恋』。
いつになるか分かりませんが、がんばります!
それでは、また。
振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない。
今週のお題「受験」
2018年、何か新しいことを始めたくてうずうずしているので、今回初めてお題に挑戦してみようと思います。
今週のお題は受験。
受験の思い出と言えば、高校の合格発表の日、自分の番号を確認した直後に貧血で倒れたこと、大学受験で絶対に合格すると思っていた滑り止めに落ちて2週間家から出なかったこと、結局その滑り止めよりもいい大学に合格して、引きこもり生活が終了したこと…思い返せばたくさんの思い出があります。
今の自分から、受験真っ只中の自分に何か言えることがあるとすれば、それはただひとつ、勉強しなさい!ということです。
充分勉強してるって!と言い返されそうではありますが、それでもやはり、あの頃の自分にはそう言いたい。
それは一体なぜか。理由は簡単です。
受験生とは、本当は限られた貴重な時間だから。その時間をめいっぱい、自分の未来の為だけに使って欲しいから。
なぜこんなことを言うかといいますと、わたし自身の受験は過去のものになってしまいましたが、職業柄今でも受験生に関わっているからです。大人として受験を捉え、受験生に向き合うと、あの頃の自分では分からなかったことにたくさん気付かされます。
周りの大人たちが、どれほど応援してくれていたか。
純粋に勉強だけに向き合える時間が、これから先の未来にどれほど少ないか。
ひとつの目標に向かってひたむきに努力することが、どれほど貴重な経験になるか。
受験生という身分の中では、勉強はただひたすらやらなければならないものとして、目の前に立ちはだかる壁にしか感じられないかもしれません。でもその壁を作っているのは単純に自分の学力不足であり、そこに向き合う以外に前に進む方法はないのです。
応援してくれる人たちは、後ろにはいません。壁の向こう側、苦労して超えたその先で、待っているのです。壁の向こう側で待つ立場になった今、ただ一生懸命に勉強して、悩みながらも前に進もうとする受験生の姿は美しく、そして少し、羨ましい。そんなことを思ってしまう大人がいるほど、今の時間は貴重なんだと、彼らが気づいてくれますように。そして、出来ることは全てやろうと、最後までやりきってやろうと、またもう一度エンジンをかけるきっかけになりますように。かつて受験生だった1人の大人として、そう願っています。
頑張れ、受験生。
何者でもなくても世界を救おう
どどどどどどどどどっど〜ドラえもん
こんなに率直に、そして端的にキャラクターの名前を使った歌が、今まであったでしょうか。
2月28日リリースの星野源の新曲、タイトルはズバリ『ドラえもん』。映画ドラえもんのび太の宝島の主題歌として、リリースに先駆けラジオで公開されました。
ANNでリアルタイムで聞くことは叶いませんでしたが、radikoのタイムフリー放送を使って、もう何度も繰り返し聞いています。
ANNで公開された翌日だったでしょうか、ネット上で「星野源の新曲に中毒者続出」という記事を見つけ、概要を見てその歌詞の独創性に驚きました。
どどどどどどどど?
ど のゲシュタルト崩壊が起こりそうな羅列。一体どんなリズムで歌っているのだろうと気になり、すぐにYouTubeで検索しました。そして映画ドラえもんの予告動画を見つけ、再生。
笑点のリズムを思い出させる明るいイントロと、まさに子供向け映画にふさわしく分かりやすいサビ。やはりドラえもんの主題歌とだけあり、子供向けのポップで元気な曲だな、というのが第一印象でした。しかし、1人の星野源ファンとして、そこで終わるわけにはいきません。フルで聞かなければ、とすぐにradikoで再生しました。
するとどうでしょう、なんだか胸に熱いものがこみ上げて、ぽろりと泣いてしまいました。
え、ドラえもんで?と、自分でも驚くばかり。
なぜ、わたしは大人になって、ドラえもんの映画主題歌を聞いて涙を流しているのでしょうか。
そして、何度か聞いているうちに分かりました。この曲は、決して子供向けなどではないのです。
星野源の、未来への思いが込められている曲なのです。歌詞の至るところに散りばめられた思いの詰まった言葉たちに、わたしは心を打たれていたのです。
少しだけ不思議な 普段のお話
指先と机の間 二次元
ドラえもんとは、不思議な道具こそたくさん登場しますが、描かれているのはまさに少年たちの日々の暮らしであり、普段の日常。
そして、指先と机の間二次元、これはドラえもんの原作者である藤子・F・不二雄の目線でしょうか。
機械だって涙を流して
震えながら 勇気を叫ぶだろう
この歌詞を見て、わたしはハッとさせられました。
今を生きる人たちの間で、圧倒的な知名度を誇るドラえもん。生活の至るところでその姿を目にすることができるほど、国民的キャラクターとなっています。
また、漫画の中でもその存在は当然のようにのび太たちの仲間として扱われ、のび太にとってはもはや親友と呼ぶに等しいでしょう。
そのドラえもんを、機械と表現しているのです。
当たり前すぎて忘れがちですが、ドラえもんとは猫型ロボットであり、人間ではありません。パシャリと顔に水をかけられるようなこの事実を、彼はさらりと歌詞にしてしまいます。そしてその機械だって、映画の中では涙を流して、友達と一緒に勇気を叫んでいるのだと。
だからここにおいでよ
一緒に冒険しよう
何者でもなくても 世界を救おう
ドラえもんが人間ではなくても、のび太が落ちこぼれでも、そんなことは関係ない。
特別な存在になる必要はない。映画に出てくるような王子でも勇者でも賢者でもない、ただの猫型ロボットと泣き虫の小学生だって、世界を救うことができる。そんな希望ある世界。それがドラえもんの世界観に必要な全てです。
背中越しの過去と輝く未来を
赤い血の流れる 今で繋ごう
僕ら繋ごう
そんな希望あるドラえもんの世界は、一体どこにあるのでしょうか。あるとすれば、それは紛れもなく未来でしょう。そこに近づくためには、今を生きるわたし達が、ドラえもんという希望を共有しているわたし達が、その未来に向かって進む以外に方法はありません。
君が残したもの 探し続けること
浮かぶ空想から また未来が生まれる
ここで言う君とは、ドラえもんか、はたまた藤子・F・不二雄のどちらでしょうか。どちらにせよ、残したものというのは数々のひみつ道具のことで間違いないでしょう。
ドラえもんのひみつ道具たちは、現代においては最早、ただの夢の道具などではありません。技術の進歩とともに次々と実現され、それはきっとこれから先も、続いていくはずです。
元は1人の人間の空想を、たくさんの人たちの努力によって実現していくこと。その弛まぬ努力が、これから先の輝かしい未来を作っていくのです。
いつか時が流れて
必ず辿り着くから
君に会えるよ
そして、もはや日本だけではなく世界中の人々が待ち望むひとつの夢こそ、ドラえもんの実現でしょう。今は技術が足りず、ひみつ道具を作れるものから少しずつ作っている状態ですが、この先の未来で、必ずドラえもんは待っているはずです。
いつか時が流れて
必ず辿り着くから
君を作るよ
1番、2番では会えるよと歌っていた歌詞が、3度目にして作るよに変わり、より強い未来への思いが感じられます。星野源自身、ドラえもんの実現を待ち望むたくさんの人たちの中の1人なのでしょう。
ドラえもんに会える未来まで、あと何年かかるかは分かりませんが、その未来に辿り着くまで、私たちは日々を繋ぎ、命を繋ぎ、今という時間を次に繋げていかなければなりません。ドラえもんの実現に必要なのは、天才的な頭脳を持つ科学者や研究者たちだけではないのです。何者でもない私たちの、未来へかける希望と、生活の中で生まれる夢こそ必要で、それが結果的に明るい世界を作ることに繋がっているのだと思います。
星野源のドラえもんへの愛と期待が込められたこの曲を、映画を見た子供たちが口ずさむ日も遠くないでしょう。それだけでもう、ひとつの明るい世界が実現しています。
ドラえもんがある世界から、ドラえもんがいる世界へ。必ず訪れる未来まで、この曲を軽快に歌いながら、日々を生きていきたいと思います。
それでは、また。
いのちの車窓から
久しぶりの更新です。
毎週の楽しみだったカルテットが最終回を迎えてから、もう随分と時間が経ってしまいました。最終回の感想を書く時間は、新年度を迎えた仕事の関係もあり、慌ただしい日々の中にすっかり溶け込んで消えてしまいました。
いつか書ければと思っていますが、最終回を無事迎えたということは、これからカルテットのお話が先に進むことはもうないわけで、それならそんなに焦って書く必要もないかな、なんてのんびり考えているところです。
ですので、今日はどうしても今日書きたいことを書くことにしました。
それは、星野源さんの最新刊、『いのちの車窓から』の感想に他なりません。
わたしは予てより星野源さんの大ファンなのですが、歌も曲はもちろんのこと、なにより彼の書く文章が大好きなのです。なので、この本が出版されると聞いた時からずっと楽しみに待っていました。雑誌ダ・ヴィンチ自体は読んでいないので、すべての文章がわたしにとっては初めて読むものとなります。
読み終えた感想、一言で言い表すならば、「もう最高」でした。自分の語彙力の無さに驚きますが、これ以外に言葉が見つかりません。
それではこれより先、詳しい感想に参ります。ネタバレ含みますのでご注意ください。
星野源さんの書く文章は、どうしていつもこう柔らかく、優しいのでしょう。言葉はその人の性格や内面が現れるものなのでしょうか。
30個のエッセイを約2時間かけて一気に読みましたが、読んでいる間中一度も文章からの圧力を感じませんでした。わたしは本を読むとき、その文章が持つ圧力に負けて、読むのを中断することがあります。うまくは言えませんが、長い文章を延々と読んでいると、突然ぷつりと集中が切れて、目で文字は追っていても頭の中には何も入らない状態になります。単に頭が疲れて集中力が無くなっただけかもしれませんが、これのせいで、今までどんなに面白い本でも、一気読みすることは出来ませんでした。
しかし、今回は何の問題もなくさらりと、まるで以前から当たり前に出来ていたことのように、一冊まるまる一気に読み終えてしまいました。これは、彼の書く文章、選ぶ言葉が自然と頭の中に流れ込み、ひとつひとつを理解しながら落ち着いて読むことができたからだと思います。文章に圧がない、それでいて決して飽きることなく最後まで読める。本当に不思議な本です。
全30個のエッセイは、思わず笑ってしまったり、思いがけず心にぐっときたり、種類豊富な充実した内容でした。つい笑ってしまったのは、"怒り"で書かれたハマ・オカモトさんとのちぎれるパンの話。確かに、パンは大体ちぎれるし、柔らかい。よく気がついたな、と感心してしまいました。
一番ぐっときたのは、"新垣結衣という人"。逃げ恥は毎週楽しみに見ておりましたので、撮影中の2人の様子は、とても興味深かったです。読んでみると、星野源はきっと人を褒める天才でもあるのだなと思いました。こんなに褒められては、新垣結衣さんも戸惑ってしまうんじゃ…?と思うほど。しかし、ここに書かれていることは紛れもなく事実であり、星野源が見た新垣結衣という人の素晴らしさが、存分に伝わってきました。日本を代表する女優が、素敵な普通の女の子だったこと。わたしはこれから彼女をテレビで見るたびに、これを思い出しては、応援してしまうのでしょう。
そして、全てを読み終えて、星野源という人もまた、素晴らしい普通の人なのだと思いました。もちろん音楽的センスや文章を書く才能においては天才で、天才だからこそ注目を集め、仕事をしていることは分かっています。しかし、そんな彼も、両親の前で寝たふりをする子供時代があり、夜中までゲームをするダメな大人であり、柴犬を愛する1人の男性でした。街が寝静まる深夜の時間帯を好んでは出歩いて、街の人々の生活を妄想する。住宅街に香るご飯の匂いを感じながら、ふらふらと時間をかけて家まで帰る。忙しい日々の中で日本の季節を感じながら、生きる。こんな当たり前の生活の中から生まれた音を、誰かに届けるために歌う。彼の音楽は生活が全てであり、そのものなのだと改めて気がつきました。
星野源という人を知ることが出来て、わたしは本当に良かったと思っています。日々の生活の中、どうしても仕事の忙しさや憂鬱に負け、当たり前のことが当たり前に出来なくなる時があります。しかし、そういう時にこそ、自分の生活をなにより大切にしなくてはならず、生きていかなくてはと思います。
自分の生活が何だったか分からなくなっている人や、失いかけている人に、この本を読んでほしいと思いました。そして、そうか自分の生活はこれだったと思い出し、深夜までゲームをしたり、ふらふら散歩に出掛けたり、大切な人と抱き合ったりしてほしい。そんな気持ちになりました。
改めて、この本を手に取って良かったと思います。これからも星野源さんの日々と共に、彼を応援していこうと心に決めた一冊でした。
それでは、また。
今、信じて欲しいか信じて欲しくないか、それだけ言って?【カルテット第9話】
カルテット9話、見ました。
以下ネタバレ含みます。
真紀の最後の嘘が明らかになった第9話。
本当は巻真紀ではなく、早乙女真紀でもなく、山本あきこ、という女性であったことがここにきて明らかになりました。
今回の冒頭で繰り広げられた家森節は、全く見事なものでした。
本当の名前で呼んで
ニモはカクレクマノミ、ホッチキスはステープラー、バンドエイドは絆創膏、ドラえもんは猫型ロボットなどなど…よくこんなにも商品名で呼ばれている物を見つけたなあと感心してしまいました。
何の事情も知らないのに、名前を偽ってきた真紀の前でこの話題で盛り上がるとは、皮肉なものです。
そして、この9話の名場面はなんと言っても後半部分、別荘の居間ですずめが真紀へ語りかける場面からその後エンディングに至る流れ全てだと思います。
人に知られたくない、言いたくない過去があり、かつてそれを受け入れてくれた真紀が、今目の前で自分の過去に苦しめられている。
状況が反転した中で、真紀を救うことができたのは、すずめただ一人だけに間違いありません。
その役割をきちんと果たし、カルテット全体で真紀を受け入れていることを確認したあの場面。
今、信じて欲しいか、信じて欲しくないか、それだけ言って?
過去なんてどうでもいい、誰であろうと関係ない。だって家族だから。
同じシャンプーで頭を洗って、同じご飯を食べて、同じ家で暮らす。
元は他人だったとしても、一緒に生活を続けてる今、四人はもう家族だから。
だから、家族として、信じて欲しいか、信じて欲しくないか、それだけ言って。
信じて欲しい!
たくさんの思いが詰まった質問と、その答えだったと思います。
家族のことを信じるのに、何の躊躇いも無いし、家族に信じて欲しいと願うことに、何の後ろめたさも無い。
血が繋がっていなくとも、きっとこういう存在のことを家族と呼ぶのだと思います。
そして、真紀がノクターンの楽屋を出て行った後、泣きながら崩れるように座り込んだすずめを優しく慰める男性陣。
蚊帳の外に出されていることが多い彼らですが、すずめと真紀の間に、自分たちが知らない絆があることをしっかりと気づいているのでしょう。
それでいて何も言わず、何も聞かずに今まで過ごし、すずめが泣いてしまった時には二人で慰めるという優しさ溢れた場面に、ついウルっと来てしまいました。
カルテットドーナツホールは、真紀がいなくなったことにより本当に穴が空いてしまったようでした。
これからどうなってしまうのか、最後まで見逃せません。
また、今回は過去が話題になっていることもあってか、視聴者には懐かしい場面がいくつか出てきました。
別府のDVDを放り投げる真紀。
ウルトラソウルパンツ。
四人並んで歯磨き。
これまでの話が思い出され、それと同時に確実に終わりに近づいていることを感じます。
感想が遅くなってしまい、もういよいよ今夜が最終回ですね!
最後までみぞみぞしながら楽しみたいと思います。
それでは、また。
好きだってことを忘れるくらい、いつも好きです。【カルテット第8話】
カルテット第8話、見ました。
以下ネタバレ含みます。
とにかく、何よりも、4人の恋愛がくるくると回りに回るお話でした。
カルテットドーナツホールの名に相応しく、面白い程4人が入れ替わり立ち替わり、それぞれの思いだけを胸に、ぐるぐると回っていたように思います。
まず、最初のワカサギ釣り?のカット。この時点で4人はもう円になって座っており、これからまるでメリーゴーランドのように回ることが意図されているようでした。
また、蕎麦を食べるシーン。初めはすずめの夢の通り、別府とすずめが向かい合っていましたが、別府が席を立ち、替わりに家森が座り、少ししてからすずめがいなくなり、そこに真紀が座る。
こんなにも短時間で人が入れ替わるテーブルが他にあるでしょうか?
そして、今回は恋愛、特に片思いに関する名言がいくつも飛び出しましたので、ひとつひとつ感想と共に述べていきたいと思います。
好きだってことを忘れるくらい、いつも好きです。
まずはタイトルにもしました、すずめのこの言葉。
夢の中では三角コーヒーへの言葉でしたが、本当は別府に対するすずめの恋心を言い表したものだったなんて、可愛すぎるセリフです。
また、就職先の社長?(ミッキーカーチスさん、最高にキュートでした!優しくてお髭の生えたお爺さんが大好きです!)に、自分の恋について話す場面はすずめらしさが全開でした。
ここで改めて、好きってことを忘れるくらい好きなのだと、別府への思いを口にしていましたね。
自分の好きはたくさんあって、いつもそこらへんに寝転んでいて、好きな人の好きな人も好きだから、自分はこれでいい。しかし、真紀と別府をくっつけようと、少し頑張る時をたくさん過ごしながら、すずめはきっといつも、胸の中の別府にエプロンをかけてもらっていたのでしょう。
何度も繰り返し流れるナポリタンの夢の続きを、すずめは現実にしたかったことでしょう。
一緒にコンサートに行って、夜ご飯を食べて、帰りのコンビニではアイスを買って、外で食べる。あの時は出来なかったけれど、夢の中では別府の左手に触れ、隣にぎゅっとくっついて座る。幸せな夢を見ているはずなのに、泣きながら目を覚ます場面、すごく胸に迫ります。
片想いって、1人で見る夢でしょ?
そして次に家森のこの言葉。
ワカサギを釣りながら話していた夢の話が、ここで活きてきました。
別府と真紀をくっつけようと奮闘するすずめに対して、片想いは夢だと告げる彼ですが、彼もまた、1人で夢を見ている人間なのでした。
今まであまり決定的に好意を見せる場面が無く、人を好きにならないという発言も飛び出していましたので、本当に家森はすずめが好きなのか怪しくなっていたところでしたが、今日まさに、決定打が出ましたね。
別府と真紀がデート中、家森はすずめに、片想いと告白について話します。
「好きです。」
「ありがとう。」
「冗談です。」
S、A、Jの法則。笑いました。
しかしこれ、まさにその通りなのでしょう。
好きでもない、興味のない人から告白されても、へぇーとは言えない。
その代わりのありがとう、そして気まずい空気を消す為の、冗談です。
最後の冗談です、という言葉が、好きです、を帳消しにして、無かったことにしてくれる。
この法則が発動した別府と真紀。
離れていてもどこか繋がっている4人が面白いですね。
ただ、別府と真紀は、好きですという言葉を無かったことにしたのではなく、一緒にいるのが辛い、もう離れた方がいい、という少しずつ見え始めたカルテットの終わりの言葉を無かったことにしました。
次回から最終章に突入しますし、本当にカルテットとのお別れが近づいていることに、寂しさを感じます。
別府と真紀の間で発動したこの法則ですが、家森とすずめの間では、無かったことに出来なかったようでした。
お得意のシミュレーションとして、ちょっと告白してみ?とすずめに持ちかけた家森でしたが、いざすずめに好きです、と言われると動揺してしまっているように感じました。
すずめも別府のことを諦めていますが、家森もまた、すずめのことを諦めているのでしょう。
そして、家森のすずめへの気持ちは、好きってことを忘れるくらい、いつも好き、なのでしょう。無理だと思っている相手から言われる好きですは、家森の想像以上に破壊力があったようです。
無かったことにして、みんな生きてるのと言う家森は、誰よりも無かったことに出来ていません。
切ない片想いたちがくるくると回る第8話でしたが、もちろんそれだけでは終わりませんでした。
最後に突然現れた真紀への疑惑。早乙女真紀ではない、誰か。
誰でもない女ですね。
警察の方が発したこの言葉、今までの真紀への愛着が一気に吹き飛び、もう一度、夫を殺したと怪しまれていたあの頃の、ミステリアスな女性に戻ってしまいました。
早乙女真紀と名乗る謎の女は、一体何者なのでしょう。
死ぬなら今かなってくらい、今が好きです。
真紀のこの言葉が、少しずつ意味を持って、来週から明らかになっていくと思います。
来週も楽しみです!
それでは、また。