読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

スカート日和

好きなもの、好きなこと。

いのちの車窓から

久しぶりの更新です。

毎週の楽しみだったカルテットが最終回を迎えてから、もう随分と時間が経ってしまいました。最終回の感想を書く時間は、新年度を迎えた仕事の関係もあり、慌ただしい日々の中にすっかり溶け込んで消えてしまいました。

いつか書ければと思っていますが、最終回を無事迎えたということは、これからカルテットのお話が先に進むことはもうないわけで、それならそんなに焦って書く必要もないかな、なんてのんびり考えているところです。

 

ですので、今日はどうしても今日書きたいことを書くことにしました。

それは、星野源さんの最新刊、『いのちの車窓から』の感想に他なりません。

わたしは予てより星野源さんの大ファンなのですが、歌も曲はもちろんのこと、なにより彼の書く文章が大好きなのです。なので、この本が出版されると聞いた時からずっと楽しみに待っていました。雑誌ダ・ヴィンチ自体は読んでいないので、すべての文章がわたしにとっては初めて読むものとなります。

読み終えた感想、一言で言い表すならば、「もう最高」でした。自分の語彙力の無さに驚きますが、これ以外に言葉が見つかりません。

それではこれより先、詳しい感想に参ります。ネタバレ含みますのでご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星野源さんの書く文章は、どうしていつもこう柔らかく、優しいのでしょう。言葉はその人の性格や内面が現れるものなのでしょうか。

30個のエッセイを約2時間かけて一気に読みましたが、読んでいる間中一度も文章からの圧力を感じませんでした。わたしは本を読むとき、その文章が持つ圧力に負けて、読むのを中断することがあります。うまくは言えませんが、長い文章を延々と読んでいると、突然ぷつりと集中が切れて、目で文字は追っていても頭の中には何も入らない状態になります。単に頭が疲れて集中力が無くなっただけかもしれませんが、これのせいで、今までどんなに面白い本でも、一気読みすることは出来ませんでした。

しかし、今回は何の問題もなくさらりと、まるで以前から当たり前に出来ていたことのように、一冊まるまる一気に読み終えてしまいました。これは、彼の書く文章、選ぶ言葉が自然と頭の中に流れ込み、ひとつひとつを理解しながら落ち着いて読むことができたからだと思います。文章に圧がない、それでいて決して飽きることなく最後まで読める。本当に不思議な本です。

 

全30個のエッセイは、思わず笑ってしまったり、思いがけず心にぐっときたり、種類豊富な充実した内容でした。つい笑ってしまったのは、"怒り"で書かれたハマ・オカモトさんとのちぎれるパンの話。確かに、パンは大体ちぎれるし、柔らかい。よく気がついたな、と感心してしまいました。

一番ぐっときたのは、"新垣結衣という人"。逃げ恥は毎週楽しみに見ておりましたので、撮影中の2人の様子は、とても興味深かったです。読んでみると、星野源はきっと人を褒める天才でもあるのだなと思いました。こんなに褒められては、新垣結衣さんも戸惑ってしまうんじゃ…?と思うほど。しかし、ここに書かれていることは紛れもなく事実であり、星野源が見た新垣結衣という人の素晴らしさが、存分に伝わってきました。日本を代表する女優が、素敵な普通の女の子だったこと。わたしはこれから彼女をテレビで見るたびに、これを思い出しては、応援してしまうのでしょう。

そして、全てを読み終えて、星野源という人もまた、素晴らしい普通の人なのだと思いました。もちろん音楽的センスや文章を書く才能においては天才で、天才だからこそ注目を集め、仕事をしていることは分かっています。しかし、そんな彼も、両親の前で寝たふりをする子供時代があり、夜中までゲームをするダメな大人であり、柴犬を愛する1人の男性でした。街が寝静まる深夜の時間帯を好んでは出歩いて、街の人々の生活を妄想する。住宅街に香るご飯の匂いを感じながら、ふらふらと時間をかけて家まで帰る。忙しい日々の中で日本の季節を感じながら、生きる。こんな当たり前の生活の中から生まれた音を、誰かに届けるために歌う。彼の音楽は生活が全てであり、そのものなのだと改めて気がつきました。

星野源という人を知ることが出来て、わたしは本当に良かったと思っています。日々の生活の中、どうしても仕事の忙しさや憂鬱に負け、当たり前のことが当たり前に出来なくなる時があります。しかし、そういう時にこそ、自分の生活をなにより大切にしなくてはならず、生きていかなくてはと思います。

自分の生活が何だったか分からなくなっている人や、失いかけている人に、この本を読んでほしいと思いました。そして、そうか自分の生活はこれだったと思い出し、深夜までゲームをしたり、ふらふら散歩に出掛けたり、大切な人と抱き合ったりしてほしい。そんな気持ちになりました。

 

改めて、この本を手に取って良かったと思います。これからも星野源さんの日々と共に、彼を応援していこうと心に決めた一冊でした。

 

それでは、また。

 

いのちの車窓から

いのちの車窓から

 

 

 

 

今、信じて欲しいか信じて欲しくないか、それだけ言って?【カルテット第9話】

f:id:arua575:20170321201806j:image

カルテット9話、見ました。

以下ネタバレ含みます。

 

 

 

 

 

真紀の最後の嘘が明らかになった第9話。

本当は巻真紀ではなく、早乙女真紀でもなく、山本あきこ、という女性であったことがここにきて明らかになりました。

今回の冒頭で繰り広げられた家森節は、全く見事なものでした。

本当の名前で呼んで

ニモはカクレクマノミ、ホッチキスはステープラー、バンドエイドは絆創膏、ドラえもんは猫型ロボットなどなど…よくこんなにも商品名で呼ばれている物を見つけたなあと感心してしまいました。

何の事情も知らないのに、名前を偽ってきた真紀の前でこの話題で盛り上がるとは、皮肉なものです。

 

 

そして、この9話の名場面はなんと言っても後半部分、別荘の居間ですずめが真紀へ語りかける場面からその後エンディングに至る流れ全てだと思います。

人に知られたくない、言いたくない過去があり、かつてそれを受け入れてくれた真紀が、今目の前で自分の過去に苦しめられている。

状況が反転した中で、真紀を救うことができたのは、すずめただ一人だけに間違いありません。

その役割をきちんと果たし、カルテット全体で真紀を受け入れていることを確認したあの場面。

 

今、信じて欲しいか、信じて欲しくないか、それだけ言って?

 

過去なんてどうでもいい、誰であろうと関係ない。だって家族だから。

同じシャンプーで頭を洗って、同じご飯を食べて、同じ家で暮らす。

元は他人だったとしても、一緒に生活を続けてる今、四人はもう家族だから。

だから、家族として、信じて欲しいか、信じて欲しくないか、それだけ言って。

 

信じて欲しい!

 

たくさんの思いが詰まった質問と、その答えだったと思います。

家族のことを信じるのに、何の躊躇いも無いし、家族に信じて欲しいと願うことに、何の後ろめたさも無い。

血が繋がっていなくとも、きっとこういう存在のことを家族と呼ぶのだと思います。

 

そして、真紀がノクターンの楽屋を出て行った後、泣きながら崩れるように座り込んだすずめを優しく慰める男性陣。

蚊帳の外に出されていることが多い彼らですが、すずめと真紀の間に、自分たちが知らない絆があることをしっかりと気づいているのでしょう。

それでいて何も言わず、何も聞かずに今まで過ごし、すずめが泣いてしまった時には二人で慰めるという優しさ溢れた場面に、ついウルっと来てしまいました。

カルテットドーナツホールは、真紀がいなくなったことにより本当に穴が空いてしまったようでした。

これからどうなってしまうのか、最後まで見逃せません。

 

また、今回は過去が話題になっていることもあってか、視聴者には懐かしい場面がいくつか出てきました。

別府のDVDを放り投げる真紀。

ウルトラソウルパンツ。

四人並んで歯磨き。

アヴェマリアモルダウ

これまでの話が思い出され、それと同時に確実に終わりに近づいていることを感じます。

 

感想が遅くなってしまい、もういよいよ今夜が最終回ですね!

最後までみぞみぞしながら楽しみたいと思います。

 

それでは、また。

 

 

 

 

 

 

好きだってことを忘れるくらい、いつも好きです。【カルテット第8話】

f:id:arua575:20170308010612j:image

カルテット第8話、見ました。

以下ネタバレ含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく、何よりも、4人の恋愛がくるくると回りに回るお話でした。

カルテットドーナツホールの名に相応しく、面白い程4人が入れ替わり立ち替わり、それぞれの思いだけを胸に、ぐるぐると回っていたように思います。

まず、最初のワカサギ釣り?のカット。この時点で4人はもう円になって座っており、これからまるでメリーゴーランドのように回ることが意図されているようでした。

また、蕎麦を食べるシーン。初めはすずめの夢の通り、別府とすずめが向かい合っていましたが、別府が席を立ち、替わりに家森が座り、少ししてからすずめがいなくなり、そこに真紀が座る。

こんなにも短時間で人が入れ替わるテーブルが他にあるでしょうか?

 

 

そして、今回は恋愛、特に片思いに関する名言がいくつも飛び出しましたので、ひとつひとつ感想と共に述べていきたいと思います。

 

好きだってことを忘れるくらい、いつも好きです。

まずはタイトルにもしました、すずめのこの言葉。

夢の中では三角コーヒーへの言葉でしたが、本当は別府に対するすずめの恋心を言い表したものだったなんて、可愛すぎるセリフです。

また、就職先の社長?(ミッキーカーチスさん、最高にキュートでした!優しくてお髭の生えたお爺さんが大好きです!)に、自分の恋について話す場面はすずめらしさが全開でした。

ここで改めて、好きってことを忘れるくらい好きなのだと、別府への思いを口にしていましたね。

自分の好きはたくさんあって、いつもそこらへんに寝転んでいて、好きな人の好きな人も好きだから、自分はこれでいい。しかし、真紀と別府をくっつけようと、少し頑張る時をたくさん過ごしながら、すずめはきっといつも、胸の中の別府にエプロンをかけてもらっていたのでしょう。

何度も繰り返し流れるナポリタンの夢の続きを、すずめは現実にしたかったことでしょう。

一緒にコンサートに行って、夜ご飯を食べて、帰りのコンビニではアイスを買って、外で食べる。あの時は出来なかったけれど、夢の中では別府の左手に触れ、隣にぎゅっとくっついて座る。幸せな夢を見ているはずなのに、泣きながら目を覚ます場面、すごく胸に迫ります。

 

片想いって、1人で見る夢でしょ?

 

そして次に家森のこの言葉。

ワカサギを釣りながら話していた夢の話が、ここで活きてきました。

別府と真紀をくっつけようと奮闘するすずめに対して、片想いは夢だと告げる彼ですが、彼もまた、1人で夢を見ている人間なのでした。

今まであまり決定的に好意を見せる場面が無く、人を好きにならないという発言も飛び出していましたので、本当に家森はすずめが好きなのか怪しくなっていたところでしたが、今日まさに、決定打が出ましたね。

 

別府と真紀がデート中、家森はすずめに、片想いと告白について話します。

「好きです。」

「ありがとう。」

「冗談です。」

S、A、Jの法則。笑いました。

しかしこれ、まさにその通りなのでしょう。

好きでもない、興味のない人から告白されても、へぇーとは言えない。

その代わりのありがとう、そして気まずい空気を消す為の、冗談です。

最後の冗談です、という言葉が、好きです、を帳消しにして、無かったことにしてくれる。

 

この法則が発動した別府と真紀。

離れていてもどこか繋がっている4人が面白いですね。

ただ、別府と真紀は、好きですという言葉を無かったことにしたのではなく、一緒にいるのが辛い、もう離れた方がいい、という少しずつ見え始めたカルテットの終わりの言葉を無かったことにしました。

次回から最終章に突入しますし、本当にカルテットとのお別れが近づいていることに、寂しさを感じます。

 

別府と真紀の間で発動したこの法則ですが、家森とすずめの間では、無かったことに出来なかったようでした。

お得意のシミュレーションとして、ちょっと告白してみ?とすずめに持ちかけた家森でしたが、いざすずめに好きです、と言われると動揺してしまっているように感じました。

すずめも別府のことを諦めていますが、家森もまた、すずめのことを諦めているのでしょう。

そして、家森のすずめへの気持ちは、好きってことを忘れるくらい、いつも好き、なのでしょう。無理だと思っている相手から言われる好きですは、家森の想像以上に破壊力があったようです。

無かったことにして、みんな生きてるのと言う家森は、誰よりも無かったことに出来ていません。

 

切ない片想いたちがくるくると回る第8話でしたが、もちろんそれだけでは終わりませんでした。

最後に突然現れた真紀への疑惑。早乙女真紀ではない、誰か。

誰でもない女ですね。

警察の方が発したこの言葉、今までの真紀への愛着が一気に吹き飛び、もう一度、夫を殺したと怪しまれていたあの頃の、ミステリアスな女性に戻ってしまいました。

 

早乙女真紀と名乗る謎の女は、一体何者なのでしょう。

死ぬなら今かなってくらい、今が好きです。

真紀のこの言葉が、少しずつ意味を持って、来週から明らかになっていくと思います。

 

来週も楽しみです!

 

それでは、また。

 

 

 

 

巻き戻ってる感じありますよね【カルテット第7話】

f:id:arua575:20170301232952j:image

 

カルテット7話、見ました。 

以下ネタバレ含みます。

 

 

 

 

 

 

 

ついに巻夫婦の結婚に終止符が打たれた第7話。一時も息がつけないような怒涛の展開が続き、最後にはようやくいつも通りの日常が、カルテットに戻ってきました。

 

日常に戻った食卓のシーンで、家森さんが何度も繰り返していたこの言葉。

巻き戻ってる感じありますよね。

そう、この言葉の通り、第7話は巻き戻し、そして不可逆が詰め込まれた回となっていました。

 

まず、オープニングとエンディングの逆転。エンディングから始まる=巻き戻し再生であり、この話は初めから巻き戻されているんですよ、と言わんばかりの演出となっていました。

そこから巻き戻しに気をつけて見てみると、いくつか該当するポイントが見つかります。

・家森さんの滑走(素早く落ちて、素早く元の位置に戻りました)

・巻夫婦が再会したことによる関係性の巻き戻し

・一度死んだと思われた有栖が実は生きていた(生→死→生への巻き戻し)

・有栖が運転する度に見せる車のバック走行(坂道を後ろ向きに駆け上がる場面は本当に巻き戻しているかのようでした)

 

しかし、これらの巻き戻し事項が散りばめられていながら、全て元通りにうまく戻ったか、と問われると決してそうではありません。

1話で唐揚げにレモンの不可逆性が話題になっていましたが、それは7話になっても変わりません。一度変わってしまった、進んでしまった時の流れは、決して元に戻すことは出来ないのです。

 

家森さんが1回目に滑り落ち、素早く巻き戻ったかのように戻って来ますが、その後また滑り落ちてしまっています。滑り落ちるということ自体は同じですが、1回目と明らかに違うのは、頭にクリティカルヒットした猿用の罠です。(痛そうでしたが、笑ってしまいました。)

落ちて、登って、また落ちる。同じ繰り返しのようでいて、違うのです。

 

また、巻夫婦の関係性も、不可逆なものでした。再会したばかりの時、真紀はずっと持っていた夫である幹夫への恋愛感情が沸き上がり、髪のハネを直しグロスまで塗り直します。

そして全てを聞いた後、一緒に逃げると決意し、自分の人生はいらないとまで言い放つ覚悟がありました。

ここまでは、結婚生活を送っていた頃と同じように、幹夫と生涯を共にする家族になりたいと願っているように感じます。

しかし、2人の関係は再会によって完全に巻き戻ったとは言えませんでした。

一緒に東京の自宅に帰り、2人にしか分からない遊びを楽しみ、食卓を囲んでおでんを食べる。ここまでは以前と同じでしたが、少しずつ2人の間に不可逆性が見えてきます。

夕食を食べながら交わす会話の話題には、以前には現れることのなかったカルテットのメンバーたちが登場し、以前はきっと飲んでいたであろうタイミングで、ワインを飲むことが出来なくなっています。

これは明らかに、2人の関係が前のものとは違うことを示しており、そこから徐々に終わりへと近づいていきます。

 

空白の期間を埋めるように、互いの気持ちを確認し合う為の話し合いで、幹夫はこう告げます。

幸せになって欲しいって思ってる。

感謝してる。ありがとう。

男女の関係が終わる時、これ以上に優しく、残酷な別れの言葉が他にあるでしょうか。

もう自分では幸せに出来ないから、君は君で幸せになって欲しい。ここから先は、自分がいなくても生きていって欲しい。

真紀の今後の人生のことを考えての言葉だったのかもしれませんが、共に生きる覚悟をし、一緒に幸せになりたくて結婚して、失踪後も一途に待ち続けていた真紀に対して、最後にこの言葉を投げつける幹夫は、やはりコンビニ強盗をするような人間だったのかと思ってしまいます。

 

一方の真紀も、この言葉で幹夫の気持ちと、この先の関係性を全て悟ります。

ずっと幸せだったよ。好きだったよ。

何もかも終わったことを確認し合う、この一言。

もう待つことも、好きでいることもしないのだと、誰よりも自分自身に言い聞かせたように思えました。

 

また、全てを悟る一言としてもうひとつ取り上げたいのが、真紀のこの言葉。

抱かれたいの。

幹夫を連れて逃げようとする真紀を、必死に引き止めようとするすずめに対しての言葉ですが、こう言われたすずめは、全てを諦めるしかないと悟り、握っていた手を離してしまいました。

どれだけ同じ家で暮らして、同じご飯を食べて、頭から同じシャンプーの匂いがしても、夫婦という絶対的な異性関係には太刀打ちできないという現実が、この一言に込められていました。

それにしても、すずめは真紀のことが相当好きなようですね。(手を握り直す場面に既視感を覚えたかと思えば、以前別府さんが真紀の自宅で手を握ったあのシーンでした。)

 

少し話が逸れました。

東京の自宅で楽しい最後の時間を過ごした夫婦は、ついに終わりの時を迎えます。

離婚届を提出して、警察署の前で握手を交わした2人は、もう今後の人生の上で交わることはないのでしょう。幹夫の後ろ姿を見送る真紀の、凛とした表情が印象的でした。

更に、全てが終わった後、別荘で幹夫に貰った詩集を火の中に躊躇なく投げ入れる潔さも、真紀の心がもう幹夫には無いことが分かる決定的な場面でした。

すずめとセッションをしながら見せた彼女の笑顔が、どこか切ないながらも、清々しいものだったので、本当に良かったと思います。

 

そして、一連の騒動を起こした有栖ですが、一度死んで(気を失って)生き返った有栖は、カルテットの女性メンバーからの信用はゼロに等しくなってしまいました。元の日常に戻り、いつも通りノクターンで勤務する有栖ですが、すずめは分かりやすく無視し、真紀もどことなく怪しむ視線を送ります。ここの関係性も、一度起こってしまった出来事の後では、元に戻ることはないようです。

 

 

このように、一貫して、巻き戻しと不可逆が描かれた第7話でした。

最後の食事のシーンも、いつもの日常のようで、別荘には幹夫のお義母さんがいたり、巻さんから早乙女さんになっていたりと、どこかが以前とは違っています。そんな中で何も知らない男性陣が平和でいいですね。

 

次回からは、4人の恋愛が進展していくのでしょうか。それともまだ誰かの嘘が4人を混乱させていくのでしょうか。

 

みぞみぞします!

 

それでは、また。

 

そういうの、ぬか喜びって言うんだよ!【カルテット第6話】

f:id:arua575:20170223001132j:image

 

カルテット6話、見ました。

以下、ネタバレ含みます。

 

 

 

 

 

巻さんと夫さんの過去を中心に描かれた第6話。

まず、すずめちゃんに正体を隠したまま、一緒に別荘に向かおうとする夫さんは、いまいち何を考えているのか分かりづらい存在ですね。

押しに弱く気も弱そうな外見(宮藤官九郎さん、ナイスなお顔です)とは裏腹にコンビニのお金を盗もうとしたり…性格が掴みづらいです。

夫さんが別荘ですずめちゃんに全てを話すのと同時に、巻さんはお義母さんに、教会で全てを打ち明けます。

 

この2人の回想がメインの6話でしたので、やはり今回はそこの感想をじっくりと述べます。

2人の出会いから細かく描かれている中で、わたしがどうしても気になったのが色の使い方でした。巻さんと夫さん、それぞれに決まった色があるように思えたのです。

それはズバリ、巻さんは白、夫さんは黒です。

まず、2人が出会って食事に行くシーン。

巻さんは白い洋服、夫さんは黒い洋服を身につけています。

薄暗い店内の中で、白い服の巻さんは少し目立っているように思います。

これは、このレストランが夫さんのテリトリーであり、そこに巻さんが入り込んでいる(夫さんが招き入れた)ことを表しているのではないでしょうか。

先に惹かれたのは夫さんの方ですし、食事に誘ったのも夫さんだと予測されます。大体、食事に誘う側は、自分が連れて行きたいお気に入りのお店を選ぶはずですよね。初デートであれば特に気合いも入るでしょう。

つまり、初めは、夫さんの世界の中に巻さんが侵入してきた感じに近かったのだと思います。

それが、結婚することにより少しずつ変わっていきます。

 

2人が結婚して引っ越した新居は、レストランとは逆で、内装が真っ白です。引っ越しのシーンで目立つ黒と言えば、巻さんのバイオリンケースのみ。

これは、完全にこの家そのものが巻さんのテリトリーであることを示しています。

そして、巻さんの持ち物の中で夫さんが魅力的に感じるのはバイオリンのみなのです。この演出は、夫さんが巻さんにバイオリンを続けたら?と発言する場面にも繋がります。

 

また、白と黒の2人の間を埋めるかのように出てくる色が、緑です。

緑色にどんな意味があるのかは分かりませんが、このドラマ全体を通してよく使われている色ですね。(すずめちゃんのコート、別荘の内装など)

ちなみに、今回巻さんが駅までお義母さんを迎えに行った際も、駅の中に緑色が目立ちました。(緑色の改札って珍しいですよね。)

また、教会のシーンで巻さんが買ってきた飲み物のカップも緑色です。

巻さんたち夫婦の生活に出てくる緑色は、まず食卓に並ぶサラダでしょう。黒と白に注目して見ていると、料理のシーンでふと出てくる野菜の緑色にハッとさせられました。

そして、これはまさか!と思ったのが、コンポから流れてくる音楽です。2人のダイニングに流れる音楽はクラシックではなく、GReeeeNの愛唄。そう、グリーンなのです。

夫さんが入院してからも、病室に置かれた緑色にはどうしても目がいってしまいました。

黒と白と、緑。なぜ緑なのか、今後の展開の中で明らかになればと思います。

 

話を黒と白に戻します。

初めは2人とも分かりやすくそれぞれの色を纏っていましたが、生活が進むにつれて、少しずつ変化が現れるようになっていました。

巻さんは、黒色の洋服を着ていることもあります。これは、家族になった夫さんに少しでも近づこうという心境の表れのように思えます。

一方で夫さんも、巻さんのことを好きでいなければと自覚して以降は、灰色の洋服を着るようになっています。ここで、白と黒が混ざった灰色、というのが2人の大きな違いと言えます。

巻さんは全てをさらけ出し、自分を任せられる家族を求めており、相手の色に染まることも受け入れていましたが、夫さんはどうしても自分自身の生き方を捨てられず、相手の色に染まり切ることができないのです。

 

そして、夫さんが最初からほぼ揺らぐことなく黒い服を着ていることは、巻さんに対する恋愛感情に拘りを持っていることの表れだとも思います。

2人の色が溶け合って家族になるのに、黒という最も他の色と溶けにくい色を纏う夫さんの様子を見れば、家族になりたい訳ではなく、ずっと恋人として付き合っていたかったという発言にも納得がいきます。

そして夫さんは、元カノから連絡が来て、助けてと言われたとしても、揺らぎませんでした。あくまで、巻さんへの恋愛感情を持っていたいだけなので、状況をややこしくするだけの不倫には足を踏み入れない!という気持ちの表れなのでしょうか。

真面目なのか、面倒くさいだけなのか、ここでも掴めない性格です。

 

また、2人で映画を見るシーンでは、家族と言えど結局は他人である、という悲しいすれ違いが描かれていました。

夫さんが好きな映画を、巻さんは質問攻めしながら鑑賞し、最後には寝てしまいます。また、巻さんが面白がって見る映画では、夫さんは明らかに退屈そうです。

わたしも恋人と好きなドラマや映画を見る時、どうしても分かり合えないなーと感じることは多々ありますので、このシーンは少し胸が痛くなります。(笑)

このシーン、部屋全体は薄暗くて夫さんに寄っているように見えますが、実は夫さんの左側は光が残ったままで壁の白が目立っていることに気がつきます。そして夫さんの右側に座る巻さん。

夫さんがどれほど自分の好みに近づけようとしても、家そのものはもう巻さんの物であり、また、巻さんからも逃れることができない場所にいることが分かります。

 

こんな家の中での生活は、次第に夫さんの心を追い詰めていくようになります。

その結果、ベランダからの飛び降り。

それにしても、巻さんが突き落とした、というのが夫さんの嘘だったことに驚きました。疑われていた巻さんが可哀想に思えてしまいます。ただ普通の家族になりたかっただけなのに、なぜか夫は逃げてしまい、なぜか自分が殺したと疑われる。夫の帰りを待ち続け、靴下もそのままにして、死体発見のニュースに怯える日々。

 

ただ、この2人の関係に白黒つけようと、先に動き出したのは巻さんでした。

夫さんがいなくなった夜も、先に家を出たのは巻さんでしたし、離婚する意思をお義母さんに伝えたのも巻さんが先でした。

一度黒に染まった彼女は、夫と別れることによって、元の真っ白で唯一無二の存在に戻っていくのでしょうか。

 

今後の2人の展開が気になるところですが、それよりも今回の終わり方が衝撃的すぎて、しばらく引きずってしまいそうです。

時間軸が飛び飛びで描かれていたため、詳しいことはよく分かりませんが、二階のベランダから落ちた有栖は、どうなってしまったのでしょう。三階から落ちても死なないけれど、二階から落ちて死ぬ人もいるの、という巻さんの言葉が聞こえてきそうです。

また、この状況の中で雪の中を歩く家森さん、倉庫に閉じ込められた別府さん、監禁されたすずめちゃん、そして雪の中を走る巻さん。それぞれの静と動がこれからどのように作用していくのでしょうか。

 

最後に、今回のタイトルに選んだ言葉ですが、すずめちゃんが夫さんに強く言い放った言葉です。

 

そういうの、ぬか喜びって言うんだよ!

 

以前、巻さんが悲しいよりも悲しいことはぬか喜びだと言っていました。

すずめちゃんはあの時寝たふりで聞いていたはずですから、この発言は巻さんへのすずめちゃんの思いがあふれたセリフと言えるでしょう。

先週のすずめちゃんの涙を思い出して、胸に迫るものがありました。

 

 

さて、今回の感想は以上になります!

次回からは終わりの始まりですね。

さらにみぞみぞする展開が待ち受けていることに期待しています。

 

それでは、また。

この感情を、恋と呼ぶにはあまりに軽薄だ。

 

昔から漫画が好きで、これまで少女漫画少年漫画関係なくたくさん読んできたのですが、まさに今どハマりし、買い集めている漫画について書きたいと思います。

その漫画は、 恋は雨上がりのように  です。

今回はつい最近買った4巻についてのネタバレ、感想を書いていきます。

 

以下、ネタバレ含みます。

 

 

 

 

 

まず、この漫画に惹かれた理由は、何と言っても絵の可愛さです。少女漫画と少年漫画が混ざり合った、どこか懐かしさも感じる表紙を見た瞬間、これは!と思いました。

あらすじを軽く読み、コミックスを買う前にネットでの試し読みをしてみました。

結果、想像通り、いえ想像以上の面白さでした。

まず、恋愛の設定としては、女子高校生の橘あきら(17)が、バイト先の店長近藤正己(45)に恋をしている、という現実世界では中々あり得ないもの。

ですがこれこそ漫画、創作の醍醐味と言えると思います。もちろん世界のどこかには、おじさんに本気で恋をする女子高生だっているのでしょうし、人と人の恋愛に垣根がないことを自由に描くことで、どこかの少女に勇気を与えることもできるのですから。

 

4巻まで読んだところで、あきらと店長の関係が少しずつ、ただならぬものに動き始めているのが感じられます。

今まであきらの一方的なアプローチに困惑し、避けるようにしていた店長が、嵐の中家に訪ねて来たあきらと話をする内に、ふと抱き締めてしまいます。

あきらも思わぬ出来事に困惑した顔を見せますが、すぐに受け入れてドキドキしながら抱き締め返しているところ、本当に可愛いです。

あきらは店長に対する気持ちを、淡い少女の初恋のように捉えている訳ではなく、きちんとした大人同士の恋愛として考えています。

それはもちろん、心だけでなく身体も通じ合うということであり、それは、店長に抱き締められた余韻を、風邪で寝込みながらも思い出して、余計に熱が上がってしまうほど。

 

しかし、抱き締めた側の店長は全く別の意味で悶々としています。抱き締めた直後、ひとまず友達としてのハグ!と言って誤魔化しますが、以前よりもあきらとの関係に悩むようになります。自分が言った言葉に傷つき(3巻)、そしてまた、自分の言葉で安堵の涙を流すあきらに対して、彼女が胸に抱える不安を払ってあげたいという思いが芽生えるのは、あきらのことを子供として見ているのか、女性として見ているのか、至極微妙なところです。

ただ、抱き締めた瞬間の店長の心の中の言葉が気になります。

この感情に、名前をつけるのはあまりに軽薄だ。

それでも、今 彼女が抱えている不安をとり払ってやりたい。救ってやりたい。

たとえ自分に、そんな資格があるとは思えなくても。

この感情を、恋と呼ぶにはあまりに軽薄だ。

あきらが店長と同じくらいの年齢で、もう成熟した立派な大人の女性であれば、これは間違いなく恋と呼べるものなのでしょう。

しかし、あきらはまだ17歳の高校生であり、自分の恋愛の対象としてはもちろん、隣に並ぶことさえも躊躇われる程の輝きを放っている。

この思いがどうしても店長の心の中には常に存在し、それは店長自身の自尊感情の低さもある種原因となっている気がします。(逃げ恥を思い出します。)

自分は、ただ真っ直ぐひたむきに、思いをぶつけてくるあきらを受け止めきれる程、立派な大人ではないと、夢が破れた過去のことを引きずりながら思っているように感じます。

 

一方で、友達と言われたあきらですが、めげずにメールアドレスを聞くことに成功し、少しずつ店長との関係を前進させようと奮闘しています。そして、この辺りから、物語が店長とあきら2人だけのものではなく、周りの人々を巻き込んだものとなっていきます。

 

4巻にして初めて登場するあきらの父。

別居していることや、苗字が違うことから、両親は離婚していることが予測されます。

父娘の関係は悪くはなく、父方の実家で再会して一緒に天丼を食べに行く仲のようです。

ここでどうしても気になるのが、終始父親の顔が描かれていないこと。

基本的に後ろ姿のみで、真正面の顔も、あきらの獅子唐の天ぷらで隠されてしまっています。

あきらが持つ父親への印象が一体どういうものなのか、今の時点ではまだ分かりません。

ただ、あきらの父と店長は、同じ中年男性でありながら、同じ部類の人間として認識されていないようです。

あきらの父は、今は違うとしてもかつて家庭を持った1人の社会人男性であり、店長よりもしっかりと着実に人生を歩んで来たことが分かります。

女性は父親に似た男性を好む傾向にあると言いますから、未だ密かに夢を追い続け、ファミレスの店長から昇進出来ない中年男性に恋する少女の父親が、きちんと社会人を全うしている男性であったことに多少驚きがあります。

いつ父親の顔が描かれるのか、今後読み進める上で一つのポイントとなりそうです。

 

そしてもう一つ、あきらとあきらの親友であるはるかの関係にも動きがありました。

あきらには、1年の時陸上部で期待されながらも、怪我が原因で引退することになったという過去があり、中学の頃から一緒に頑張ってきた親友のはるかと、引退を機に微妙な仲となってしまっていました。

 

互いのことを気にしながらも、きっかけが掴めず距離を置いたままの2人でしたが、4巻ではあきらがはるかを夏祭りに誘います。

楽しく過ごしていた2人でしたが、ふとしたことから口論になり、元のように戻りたいと願うはるかに対して、もう元には戻れないと言い放ってしまうあきら。

結果的に夏祭りに行ったことで、2人の溝がより明らかに、そして深いものだと認識されてしまいます。

あきらは、自分がもう入ることの出来ない輪にいるはるかに対して、嫉妬や羨ましさを少なからず抱えていたのでしょう。

かといって、「いいね、羨ましい」などと言ってははるかに気を使わせてしまうだけであり、この行き場のない感情は、はるかを含む陸上部全体を遠ざけることでしか解決出来ずにいる、というところでしょうか。

 

あきらが親友との仲に悩む時、店長もまた、かつての友人との仲に変化が訪れます。

こちらの変化は良い変化であり、大学を卒業してから文筆家デビューした友人、ちひろとの数年来の再会となります。

それにしても、ちひろが男性だとは驚きました。今まで名前のみ登場し、完全に店長の元奥さんなのかしら?などと思っていましたので、ロン毛の明るい男性を見たときは、してやられた!と思いました。

店長の本当の元奥さんは、みどりさんといい、かつて大学で同じサークルに所属していたようです。

店長とちひろは、青春時代共に夢を追いかけた仲間として、いい歳した大人として、そして同級生として、昔を懐かしく思い出す様子が描かれています。

 

同じ夢や目標に向かって頑張っていた仲間との関係が、一方では悪く、一方では良い方向へと動き出しており、あきらと店長の年齢の差をより鮮明に映し出しています。

もう子供ではないと何度も言うあきらは、本当は仲間に対して素直になれない子供のままであり、もう大人だもんなと諦める店長は、いつもあの頃の夢を追いかけながら昔に戻りたいと願っているのです。

 

そんな2人が再会するのはやはりバイト先のファミレスであり、悩みを抱えた様子のあきらに対して店長は今夜がスーパームーンであることを伝えます。

親子程の年齢差がある2人が、月を見上げながらそれぞれの友人関係に思いを馳せるシーンでは、友達はいくつになっても友達のままであり、人間はいくつになっても人間のままであるということを認識させられます。

周りを巻き込みながら、大人になれない子供と、子供に戻れない大人の恋愛がこの先どうなっていくのか、気になって仕方ありません。

 

随分長くなってしまいましたが、4巻の感想は以上になります。

まだまだ気になることが山積みなので、5巻、6巻と買い集めていきたいです!

 

それでは、また。

 

 

恋は雨上がりのように 4 (ビッグコミックス)
 

 

 

志のある三流は四流だからね【カルテット第5話】

f:id:arua575:20170214235528j:image

カルテット5話、見ました。

以下ネタバレを含みます。

 

 

毎週楽しみにしているこのドラマ。

最高の離婚から大ファンである坂元裕二さん脚本のラブサスペンスミステリーということで、必ず録画して1秒たりとも見逃さないよう、画面にかじりつく1時間です。

 

さてこの第5話、今までの4週間で築いたカルテットの空気感が、ぼろぼろと崩れていく音が聞こえるようでした。

何と言っても吉岡里帆さんの演技。

 

人間は嘘で塗り固められた存在で、それを隠しながら、みんな平穏な顔をして生きているという暗黙の了解を、まるでオセロの盤ごとひっくり返すように攻め立てるあの勢い。

出てくる言葉ひとつひとつに腹が立ち、胸が痛み、もうこれ以上はやめてくれ、言わないでくれ、と思ってしまいました。

彼女が巻さんに容赦なく襲いかかる隣で、巻さんを守るために必死に話題を逸らそうと奮闘するすずめちゃんですが、結果的に彼女の言葉の剣は巻さんではなくすずめちゃんの心を傷つけることとなりました。

自分の秘密を知っても世間の常識から守ってくれた巻さんのことをずっと騙していた罪悪感や、それが全てバレてしまった絶望感、また居場所がなくなるかもしれない孤独感、いろんな感情が押し寄せて落ちた涙だと思います。もちろん、一番は巻さんへの懺悔の気持ちが大きいとは思いますが。

 

後半部分の怒涛の会話劇に全てを持って行かれそうな5話でしたが、前半にも名言が散りばめられていましたね。

 

タイトルにもしましたが、今回最も心に刺さった言葉はこちら。

志のある三流は四流だからね

カルテットドーナツホールとしての夢を追いかけ始めた4人ですが、充分な練習もできず不安なまま迎えた本番、頼まれたのはまさかの弾きフリ。

これは仕事と割り切って、弾きフリに徹するか、奏者としてのプライドを守るか、4人は決断を迫られます。

結果的に巻さんの言葉でみんな納得し、三流なりの仕事として無事コンサートを終えますが、帰り際、あまり達成感や充実感が得られなかったことを主催側に気づかれてしまいました。

 

わたしもかつて楽器と音楽に関わっていた時期があるので、お客様の前で演奏しているフリをすることが、奏者にとってどんなに虚しいことかは、手に取るように分かります。(始めたばかりの下手な時期は、フリも多かったので。)

わたしの場合は仕事ではなく、ただ好きでやっていただけでしたので、今度は絶対にフリは嫌だと思って新たなやる気の源となっていました。

弾きフリを依頼され、自分たちの実力不足を突きつけられるかのようで、悔しさ虚しさがこみ上げますが、30代で夢の終わりが少しずつ見える今、いつまでも眩しいことばかり言っていられる訳でもなく…という難しいところですね。

 

三流なりに、と割り切って仕事をこなした4人が去った後のこのセリフは、夢を追いかける人々の心に刺さり、鈍い痛みを残したことでしょう。

どんなに割り切って、諦めて、妥協しても、心の中で消えない憧れが邪魔をする。

三流だと分かっている、自分にもそう言い聞かせているのに、消えない志が枷になる。

夢を見すぎた三流は、がむしゃらに頑張ることしか許されない三流の世界からも追い出され、いつの間にか四流へと成り下がる。

救いのない言葉だと思いましたし、あまりに悲しすぎると思いました。ただ、それと同時に頭に冷水をかけられたかのような衝撃もありました。

夢を守りたいのであれば、形振り構わず頑張り続けるしかないのだと。

憧れや志、プライドを持ってしまっては、そこで立ち止まってしまうのだと。

 

坂本さんのドラマには、心を抉られるようなセリフがぽろりぽろりと混ぜ込まれており、見る人によって様々な角度から心に刺さったり、時には癒したりするのでしょう。

 

必ずしも世間で高く評価されるドラマじゃなくとも(面白さが視聴率に反映されなくとも)、わたしはこれから先もこのドラマを終わりまで見届けます。

きっと心が痛む場面が、まだこれから何度もあるのでしょうが、それでこそ坂本さんのドラマですから。

 

来週も楽しみにしています!

それでは、また。