スカート日和

好きなもの、好きなこと。

この感情を、恋と呼ぶにはあまりに軽薄だ。

 

昔から漫画が好きで、これまで少女漫画少年漫画関係なくたくさん読んできたのですが、まさに今どハマりし、買い集めている漫画について書きたいと思います。

その漫画は、 恋は雨上がりのように  です。

今回はつい最近買った4巻についてのネタバレ、感想を書いていきます。

 

以下、ネタバレ含みます。

 

 

 

 

 

まず、この漫画に惹かれた理由は、何と言っても絵の可愛さです。少女漫画と少年漫画が混ざり合った、どこか懐かしさも感じる表紙を見た瞬間、これは!と思いました。

あらすじを軽く読み、コミックスを買う前にネットでの試し読みをしてみました。

結果、想像通り、いえ想像以上の面白さでした。

まず、恋愛の設定としては、女子高校生の橘あきら(17)が、バイト先の店長近藤正己(45)に恋をしている、という現実世界では中々あり得ないもの。

ですがこれこそ漫画、創作の醍醐味と言えると思います。もちろん世界のどこかには、おじさんに本気で恋をする女子高生だっているのでしょうし、人と人の恋愛に垣根がないことを自由に描くことで、どこかの少女に勇気を与えることもできるのですから。

 

4巻まで読んだところで、あきらと店長の関係が少しずつ、ただならぬものに動き始めているのが感じられます。

今まであきらの一方的なアプローチに困惑し、避けるようにしていた店長が、嵐の中家に訪ねて来たあきらと話をする内に、ふと抱き締めてしまいます。

あきらも思わぬ出来事に困惑した顔を見せますが、すぐに受け入れてドキドキしながら抱き締め返しているところ、本当に可愛いです。

あきらは店長に対する気持ちを、淡い少女の初恋のように捉えている訳ではなく、きちんとした大人同士の恋愛として考えています。

それはもちろん、心だけでなく身体も通じ合うということであり、それは、店長に抱き締められた余韻を、風邪で寝込みながらも思い出して、余計に熱が上がってしまうほど。

 

しかし、抱き締めた側の店長は全く別の意味で悶々としています。抱き締めた直後、ひとまず友達としてのハグ!と言って誤魔化しますが、以前よりもあきらとの関係に悩むようになります。自分が言った言葉に傷つき(3巻)、そしてまた、自分の言葉で安堵の涙を流すあきらに対して、彼女が胸に抱える不安を払ってあげたいという思いが芽生えるのは、あきらのことを子供として見ているのか、女性として見ているのか、至極微妙なところです。

ただ、抱き締めた瞬間の店長の心の中の言葉が気になります。

この感情に、名前をつけるのはあまりに軽薄だ。

それでも、今 彼女が抱えている不安をとり払ってやりたい。救ってやりたい。

たとえ自分に、そんな資格があるとは思えなくても。

この感情を、恋と呼ぶにはあまりに軽薄だ。

あきらが店長と同じくらいの年齢で、もう成熟した立派な大人の女性であれば、これは間違いなく恋と呼べるものなのでしょう。

しかし、あきらはまだ17歳の高校生であり、自分の恋愛の対象としてはもちろん、隣に並ぶことさえも躊躇われる程の輝きを放っている。

この思いがどうしても店長の心の中には常に存在し、それは店長自身の自尊感情の低さもある種原因となっている気がします。(逃げ恥を思い出します。)

自分は、ただ真っ直ぐひたむきに、思いをぶつけてくるあきらを受け止めきれる程、立派な大人ではないと、夢が破れた過去のことを引きずりながら思っているように感じます。

 

一方で、友達と言われたあきらですが、めげずにメールアドレスを聞くことに成功し、少しずつ店長との関係を前進させようと奮闘しています。そして、この辺りから、物語が店長とあきら2人だけのものではなく、周りの人々を巻き込んだものとなっていきます。

 

4巻にして初めて登場するあきらの父。

別居していることや、苗字が違うことから、両親は離婚していることが予測されます。

父娘の関係は悪くはなく、父方の実家で再会して一緒に天丼を食べに行く仲のようです。

ここでどうしても気になるのが、終始父親の顔が描かれていないこと。

基本的に後ろ姿のみで、真正面の顔も、あきらの獅子唐の天ぷらで隠されてしまっています。

あきらが持つ父親への印象が一体どういうものなのか、今の時点ではまだ分かりません。

ただ、あきらの父と店長は、同じ中年男性でありながら、同じ部類の人間として認識されていないようです。

あきらの父は、今は違うとしてもかつて家庭を持った1人の社会人男性であり、店長よりもしっかりと着実に人生を歩んで来たことが分かります。

女性は父親に似た男性を好む傾向にあると言いますから、未だ密かに夢を追い続け、ファミレスの店長から昇進出来ない中年男性に恋する少女の父親が、きちんと社会人を全うしている男性であったことに多少驚きがあります。

いつ父親の顔が描かれるのか、今後読み進める上で一つのポイントとなりそうです。

 

そしてもう一つ、あきらとあきらの親友であるはるかの関係にも動きがありました。

あきらには、1年の時陸上部で期待されながらも、怪我が原因で引退することになったという過去があり、中学の頃から一緒に頑張ってきた親友のはるかと、引退を機に微妙な仲となってしまっていました。

 

互いのことを気にしながらも、きっかけが掴めず距離を置いたままの2人でしたが、4巻ではあきらがはるかを夏祭りに誘います。

楽しく過ごしていた2人でしたが、ふとしたことから口論になり、元のように戻りたいと願うはるかに対して、もう元には戻れないと言い放ってしまうあきら。

結果的に夏祭りに行ったことで、2人の溝がより明らかに、そして深いものだと認識されてしまいます。

あきらは、自分がもう入ることの出来ない輪にいるはるかに対して、嫉妬や羨ましさを少なからず抱えていたのでしょう。

かといって、「いいね、羨ましい」などと言ってははるかに気を使わせてしまうだけであり、この行き場のない感情は、はるかを含む陸上部全体を遠ざけることでしか解決出来ずにいる、というところでしょうか。

 

あきらが親友との仲に悩む時、店長もまた、かつての友人との仲に変化が訪れます。

こちらの変化は良い変化であり、大学を卒業してから文筆家デビューした友人、ちひろとの数年来の再会となります。

それにしても、ちひろが男性だとは驚きました。今まで名前のみ登場し、完全に店長の元奥さんなのかしら?などと思っていましたので、ロン毛の明るい男性を見たときは、してやられた!と思いました。

店長の本当の元奥さんは、みどりさんといい、かつて大学で同じサークルに所属していたようです。

店長とちひろは、青春時代共に夢を追いかけた仲間として、いい歳した大人として、そして同級生として、昔を懐かしく思い出す様子が描かれています。

 

同じ夢や目標に向かって頑張っていた仲間との関係が、一方では悪く、一方では良い方向へと動き出しており、あきらと店長の年齢の差をより鮮明に映し出しています。

もう子供ではないと何度も言うあきらは、本当は仲間に対して素直になれない子供のままであり、もう大人だもんなと諦める店長は、いつもあの頃の夢を追いかけながら昔に戻りたいと願っているのです。

 

そんな2人が再会するのはやはりバイト先のファミレスであり、悩みを抱えた様子のあきらに対して店長は今夜がスーパームーンであることを伝えます。

親子程の年齢差がある2人が、月を見上げながらそれぞれの友人関係に思いを馳せるシーンでは、友達はいくつになっても友達のままであり、人間はいくつになっても人間のままであるということを認識させられます。

周りを巻き込みながら、大人になれない子供と、子供に戻れない大人の恋愛がこの先どうなっていくのか、気になって仕方ありません。

 

随分長くなってしまいましたが、4巻の感想は以上になります。

まだまだ気になることが山積みなので、5巻、6巻と買い集めていきたいです!

 

それでは、また。

 

 

恋は雨上がりのように 4 (ビッグコミックス)
 

 

 

志のある三流は四流だからね【カルテット第5話】

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カルテット5話、見ました。

以下ネタバレを含みます。

 

 

毎週楽しみにしているこのドラマ。

最高の離婚から大ファンである坂元裕二さん脚本のラブサスペンスミステリーということで、必ず録画して1秒たりとも見逃さないよう、画面にかじりつく1時間です。

 

さてこの第5話、今までの4週間で築いたカルテットの空気感が、ぼろぼろと崩れていく音が聞こえるようでした。

何と言っても吉岡里帆さんの演技。

 

人間は嘘で塗り固められた存在で、それを隠しながら、みんな平穏な顔をして生きているという暗黙の了解を、まるでオセロの盤ごとひっくり返すように攻め立てるあの勢い。

出てくる言葉ひとつひとつに腹が立ち、胸が痛み、もうこれ以上はやめてくれ、言わないでくれ、と思ってしまいました。

彼女が巻さんに容赦なく襲いかかる隣で、巻さんを守るために必死に話題を逸らそうと奮闘するすずめちゃんですが、結果的に彼女の言葉の剣は巻さんではなくすずめちゃんの心を傷つけることとなりました。

自分の秘密を知っても世間の常識から守ってくれた巻さんのことをずっと騙していた罪悪感や、それが全てバレてしまった絶望感、また居場所がなくなるかもしれない孤独感、いろんな感情が押し寄せて落ちた涙だと思います。もちろん、一番は巻さんへの懺悔の気持ちが大きいとは思いますが。

 

後半部分の怒涛の会話劇に全てを持って行かれそうな5話でしたが、前半にも名言が散りばめられていましたね。

 

タイトルにもしましたが、今回最も心に刺さった言葉はこちら。

志のある三流は四流だからね

カルテットドーナツホールとしての夢を追いかけ始めた4人ですが、充分な練習もできず不安なまま迎えた本番、頼まれたのはまさかの弾きフリ。

これは仕事と割り切って、弾きフリに徹するか、奏者としてのプライドを守るか、4人は決断を迫られます。

結果的に巻さんの言葉でみんな納得し、三流なりの仕事として無事コンサートを終えますが、帰り際、あまり達成感や充実感が得られなかったことを主催側に気づかれてしまいました。

 

わたしもかつて楽器と音楽に関わっていた時期があるので、お客様の前で演奏しているフリをすることが、奏者にとってどんなに虚しいことかは、手に取るように分かります。(始めたばかりの下手な時期は、フリも多かったので。)

わたしの場合は仕事ではなく、ただ好きでやっていただけでしたので、今度は絶対にフリは嫌だと思って新たなやる気の源となっていました。

弾きフリを依頼され、自分たちの実力不足を突きつけられるかのようで、悔しさ虚しさがこみ上げますが、30代で夢の終わりが少しずつ見える今、いつまでも眩しいことばかり言っていられる訳でもなく…という難しいところですね。

 

三流なりに、と割り切って仕事をこなした4人が去った後のこのセリフは、夢を追いかける人々の心に刺さり、鈍い痛みを残したことでしょう。

どんなに割り切って、諦めて、妥協しても、心の中で消えない憧れが邪魔をする。

三流だと分かっている、自分にもそう言い聞かせているのに、消えない志が枷になる。

夢を見すぎた三流は、がむしゃらに頑張ることしか許されない三流の世界からも追い出され、いつの間にか四流へと成り下がる。

救いのない言葉だと思いましたし、あまりに悲しすぎると思いました。ただ、それと同時に頭に冷水をかけられたかのような衝撃もありました。

夢を守りたいのであれば、形振り構わず頑張り続けるしかないのだと。

憧れや志、プライドを持ってしまっては、そこで立ち止まってしまうのだと。

 

坂本さんのドラマには、心を抉られるようなセリフがぽろりぽろりと混ぜ込まれており、見る人によって様々な角度から心に刺さったり、時には癒したりするのでしょう。

 

必ずしも世間で高く評価されるドラマじゃなくとも(面白さが視聴率に反映されなくとも)、わたしはこれから先もこのドラマを終わりまで見届けます。

きっと心が痛む場面が、まだこれから何度もあるのでしょうが、それでこそ坂本さんのドラマですから。

 

来週も楽しみにしています!

それでは、また。

 

スカートの中に入れて

今回は、このブログの名前について

書こうと思います。

 

このブログ、スカート日和 といいます。

 

もともと、〇〇日和にしよう、

というのは自分の中でなんとなくあって、

〇〇に入れる言葉を決めかねていたのですが

ふと、好きな曲の歌詞から拝借しようと

思いつき、自分が今まさにどハマりし

聞いている曲リストの中から

これだ!としっくり来るものを

選んでおりました。

 

そこで浮かんだのが、

星野源  スカート

という曲です。

 

わたしは2年前くらいから星野源さんの

大ファンなのですが

(逃げ恥、もちろん毎週見てました。)

曲はもちろんのこと、彼の使う言葉たちが

心に迫ってきてとても好きなのです。

 

そして最近、星野源さんの曲の中で

ずっと聞いているのがこのスカート。

 

日差しの中で紅い瞼透ける

微睡みながら埃は光舞う

まるで子供の頃の春のように

見るものすべて輝いているよう

電波からのサイン  少し無視したら

時間の河を 下るのか上るのか

 

ここまでの歌詞で、もういかに

星野源という人が言葉遣いの天才であるかが

分かります。

どんな場面か、なんの情景かは全く

書かれていませんが、日差しの中で

紅く透ける瞼と、光り舞う埃の様子は

どことなく始まったばかりのある日の朝を

思い起こさせます。

そしてそれは、昔経験したことのある

子供の頃の日常とよく似ていて、家族に

囲まれて輝く春のある朝のようなのです。

昔の記憶が浮かぶ微睡んだ空間の中で、

大人になった自分は逆らえない電波からの

メッセージ(おそらくスマホやテレビ)を

少しだけ無視することで、

時間の河の中を漂っている…

 

ここまでの内容で、まだサビに突入

していないというまさかの事実。

そして、ここから始まるサビで

この曲の魅力が爆発します。

 

何もない日々よ

幸福も今はいらぬ

仕事を預けて

昼飯食べる

 

突如として始まる現実の日々。

それは何もなく、ただ仕事をこなして

生きていく日々。

大人になるとはこういうことなのかと、

一見悲しくなりますが、実は

そうではありません。

大人としての日々をこなす自分は

本当は自分から幸福を遠ざけているのです。

何もない日々の中には、幸福もいらない。

ここに星野源の仕事に対するストイックな

考えが表れているように感じます。

 

彼自身が求める表現者としての日々はきっと

この曲の中の日々とは異なる世界にあり、

そこに到達するまでの日々の中には

まだ幸福も何もいらない、というのです。

 

これでこそ、と思いました。

 

わたしも夢を持つ人間として、

夢に向かうその過程の中で

必ずしも幸福ばかりを求めないように

しなければ、と思います。

成果が出れば嬉しいし、認められると

もちろん幸福を感じますが、それだけで

満足していては辿り着けない夢があることを

教えてくれているような気がしました。

 

少しでも夢に繋がればと思って始めた

このブログの名前にこの曲を当てはめることで

彼が追い続ける夢の先のように、わたしも

この先を見失わないようにしようと

思いを込めました。

 

結果的に歌詞と言うよりも

曲のタイトルそのものになってますが(笑)

そんな感じの由来です。

 

それでは、また。

スカート

スカート

 

はじめに。

ずっと気になっていたブログ、

今日から始めてみました。

 

何を書けばいいのか、何を書きたいのか

自分でもよく分からないままですが

人に読んでもらう為の文章を

書きたいと思ったのがキッカケです。

とりあえず日々の中で浮かぶ

書き留めておきたいこと、

日々の中にある好きなもののこと

好きな人のこと…などなど

自分が幸せになれる内容で

埋め尽くせたらなあと思います。

なので完全自己満日記です。

 

以下、簡単に自己紹介を!

成人女性、社会人

転職したいなと思う日々です。

いつか書くことを仕事にしたい。

 

好きなこと

読むこと、音楽を聴くこと、電車に乗ること

寝ること(二度寝はこの世の三大幸福の一つ)

書くこと

 

好きなもの

猫、本、漫画、言葉、動物園、エクレア、紅茶、ほうじ茶、サツマイモ、映画、星、宇宙、音楽、ドラマ

 

好きな人

星野源高橋一生瑛太綾野剛安田顕満島ひかり真木よう子小松菜奈中条あやみ朝井リョウ三浦しをん江國香織坂元裕二

 

などなど……

どうぞ、よろしくお願いします。